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2012年10月30日のつぶやき
00:01
村上隆さん@takashipomの『創造力なき日本』の冒頭を読んでやっぱり芸術は万人が理解出来るものであるはずがない。と思う。ただ芸術には、五百羅漢図をみた東さん@hazumaが仰っておられた様な圧倒的な力が必要なんでしょうね。http://t.co/8UHKHRBC
村上隆著『創造力なき日本』を読んだ。芸術とは万人が容易に理解出来るものではないのかもしれない。
 『本物のアートは万人を魅了する。』

アート(芸術)というものがどういうものなのかは
正直わかりませんが、村上隆さん著『創造力なき日本』を読んで、
といってもまだ冒頭ですが。。。なんとなく思う所があった。

芸術=(情報量+物語)ー風化

数学が出来る訳ではないので、
誰でもわかる数式になってしまうのが悲しいですが、
現段階では自分の芸術の判断指針としてはわかりやすい気がする。

•情報量とは
作品にかけた時間、想い(情熱)、コンセプト、理論、
地位、プレゼンテーション(営業)

作品に着手し完成、出荷(販売)するまでに掛けられた作者の力。
モノによっては、出荷後も増やす事は可能。

•物語とは
時代背景、評価、風評(口コミ)、露出度

作品が出荷され、世に出た後の社会的浸透力。

•風化とは(物語に連動)
年月、価値観

出荷され時間の経過と共に変化する鑑賞者の感性(知性)

なんて、偉そうな感じを思いました。
情報量とは、『モナリザ』を最後まで、撫で続けたと言われる
ダヴィンチの執念にも似た作品へ掛けた時間であり、
村上隆さんの仰られる『お伺いを立てる』と言った
プレゼンテーションであり、理論(戦略)。

物語とは、出荷後、世間が回す『勝手な評価』であり、
作者の意図とは別の所で想像が膨らませられる意味付け。
映画『おおかみこどもの雨と雪』とか、
『桐島、部活やめるってよ』などで、
監督の意図とは別に盛り上がった話のようなもの。

風化とは、単純に年月。時には、寺社建築の様に、
風化と共に剥げ落ちた『けばけばしい』色彩や、『歴史』。
革命的、異端な物事が起こった後で、
ようやく世間が馴れるまで掛かった時間。
音楽配信サービスやインターネット産業。

情報量は作者が作った過程であり、
それがマイナスになることはないが、
物語や風化は時に+にもなり、−にもなる。

と、日本人の感覚で芸術というものを考えると
こんな数式が当てはまりそうな気もしたが、
実際問題どうなんでしょうね。

でも、昨今の園子温監督を筆頭に、
徹底的に取材された膨大な資料(あくまでイメージですが…。)や、
村上隆さんの仰られる『現代美術』の見方などを伺ったり、
映画や小説などで流行るタイトルの『年齢層』を見ていると、
『芸術は万人に理解されるものではない。』
のかもしれない。なんて思う。

『神』という超抽象的な矛盾だらけのイメージの様に、
『芸術』にも様々な価値の形がある。

ただ、個人的に思う事は
園子温監督の様に『超』過剰な表現であったり、
村上隆さんの様に『超』オタク的?な
『革命的(異端)』破壊力(膨大な情報力)を詰め込んだ作品しか、
物語や風化がもたらすマイナスの力に耐える事は出来ないように思う。

きっと、10年という年月が−100点ぐらいの影響があるのだったら、
現段階で『世間の評価』はどうであれ、
200点以上の作品を作らなければ、
10年後も評価される事はないのだろう。

そして、何十年後、何百年後先なのかはわからないが、
あるポイントを境に、『歴史的な作品』へと変化するのには、
200点でも足りないかもしれないんでしょうね。

ほんと、『アーティスト』を私は尊敬します。

まだ冒頭ですが面白そうな本ですよ。



2012年10月23日のつぶやき
00:18
映画『希望の国』 アーティストってのはこうじゃなきゃね。 http://t.co/MnAdqeqs #jugem_blog
2012年10月22日のつぶやき
14:37
映画「希望の国」を観た。 いやぁ泣いた。感動したとかじゃなく、切なさ?哀しさ?悲しみ? どの感情なのかはわからないけど、辛くて涙を流したのは初めてだった。
映画『希望の国』 アーティストってのはこうじゃなきゃね。
 女『1歩、2歩、3歩。』
子供『1歩、2歩、3歩なんておこがましいよ。
   私たちは1歩、1歩、1歩。』

映画『希望の国』を観てきました。
いやぁ。引くほど泣いちゃいました。
感動?そんなんじゃない。
悲しみ、失望、切なさ、絶望、
現実の何千、何万分の一も被災地に行ったこともない
私が述べるのもほんとおこがましいですが、
なぜか涙が止まりませんでした。

上映される物語は知っているようで、知らない話。
いつか『私』の身にも起こるかもしれないけど、
『きっと』起こらない話。

過度に『放射線』に反応する主人公たちは、
影でせせら笑う『私たち』とは『別の世界』を生きている。
その『別の世界』を私たちは知っているようで
なんにも知らない。

だから、かつての『悲劇のヒロイン』の話も、
『大人』になった『私たち』にはただの『幻想』に過ぎない。

いつの間に、私たちはこんなにも『現実』が見えなくなったのだろうか。
放射能の影響がどれだけ大きいのか、
はたまたまったく影響がないのか私はまったく知らない。
けれど、それを『知る』のはいつなのだろうか。
知ったときに『悲劇のヒロイン』たちを
今日と同じように笑うことは出来るのだろうか。

私たちはいつも『わかりやすいこと』だけを見て、
『わからないこと』には蓋をする。
そして、物事は進み『わかりやすいこと』は1歩、2歩、3歩と進み、
『わからないこと』は忘れ去る。

どんなことでも、容易に、目に見えるものだと誰もが信じる。
地位、名声、階級、体裁、社会性とか安全性って『言葉』。

3.11が大きなきっかけになったのか、
単純に今まで蓋を閉め続けたパンドラの蓋が
開いてしまっただけなのかはわかりませんが、
いわゆる『価値観』っていう『普通』とか『当たり前』とかってやつが、
ぐらぐらぐらぐら、揺らぎだした。

その時、私たちに出来ることは何なのでしょうか?

これまでは『問題』が目に見えたのかもしれない。
または目に見える問題だけだったのかもしれない。

着実に解決できる『問題』だけに対処すれば良いだけの時は終わった。
何事も、肯定的に美しく積みあがっていくわけではない。
時には、破壊も必要であり、
無様にも手当たり次第取り掛かることが重要である。

社会性?人間性?日本人として?それが何になる。体裁もくそもない。
その『現実』に巻き込まれたとき、
あなたは『防護服』を着ないと言い切れますか?
リストラにあったとして、あなたは『生活保護』を断りますか?

『1歩、2歩、3歩なんておこがましいよ。私たちは1歩、1歩、1歩。』
それは、絶望の言葉なのかもしれないが、
個人的には『希望の言葉』なのだと感じた。

『出来ることを最大限やりましょう!そしたらきっと。。。』
って言葉にすると軽すぎる言葉ですが、
そんなメッセージのある映画だと思いました。

最後に、賛否両論あるようで、演出が過剰だ!とか、
最後は『愛』で終わりかよ!って感想が見受けられますが、
演出に関しては、あまりにも『無知な私たち』への演出であり、
神楽坂恵さんの台詞の『愛』っていうのは、
前後関係的に結局『愛』では何も変わらない。
っていう皮肉たっぷりの台詞に個人的には感じたのですが。。。
受け取り方も人それぞれですね。
少なくとも『目に見える』ものだけを信じるだけにはならないように、
『お前の問題だ!』って夏八木さんい怒られない様にしないとね。

ま、とりあえず必見でしょう。
映画『希望の国』



2012年10月20日のつぶやき
00:00
なんてどうでも良い話のように感じますが、グローバル社会と言われる『表現の社会』においてなのかどうなのかはわかりませんが、この『演技』であり、『表現』というのの『見方』というのは、とても大事になってくるように思います。
00:03
今までは、右にならえで成長が保障されていたわけですが、右に習えは『悪しきもの』となりスティーブジョブズが『英雄』となりつつあります。いわゆる『個性の時代』ってやつ。革新的な創造性は『習慣』の中に埋もれていると気づくことはない。
00:05
例えばモノの良し悪しや、体調の良し悪しを知るのは、物をなくした後や、風邪を引いた後とか、生死をさまよったりしたという『日常』とか『当たり前』がなくなった瞬間であったりする場合が多い。本来なら日々かみ締めるべきものですが、如何せんどうもね。。。
00:08
要するに当たり前に生きている『日常』には『疑い』が生じない。だからそこに『問題』はなく、『革新』以前に『修正』も『改良』も生まれない。今更、新しい『挨拶』なんて、誰も始めない。でも、極端な話、その挨拶が『革新』へと変わるかもしれない。
00:10
日常を疑え!っていうと、とっても簡単な気がしますが、それって非常に難しいことです。だって、疑う余地がなかったから、そのまま過ごしてきたわけですもんね。ある意味で自分の人生の『否定』から入らなければならないかもしれない。
00:13
だから、まずは皆さん岡田斗司夫さんの『オタクの息子に悩んでます』を読んで、『恋愛』を疑いましょう!キス以外の愛撫や、好きとか愛してる以外の『愛の言葉』があるのかもしれません。でも、それには理解してくれる相手も必要ですね。
00:47
恋愛ってのは演技だよ。 http://t.co/u0CmE5Nh #jugem_blog
2012年10月19日のつぶやき
12:23
大人だろうか子供だろうが結局同じ事をやっているのだと思う。規模やお金の拡大が大人と言う事なのだろうか。構成と言う事に関しては皆一緒だ。 http://t.co/sZDaTYYg
23:04
岡田斗司夫さん @ToshioOkada 著「オタクの息子に悩んでます」の中で恋愛は演技である。と言うのがとても面白く、人間と言うものの在り方全てが説明されている様に感じた。私達はそれぞれの私という役目を生きている。その演じ方は血液型占いの様なマインドコントロールに近い。
23:07
「生き方」と言うと非常に大袈裟だが、私たちは生きる中でそれぞれの台本を作る。その台本は「こうでなくてはいけない。」と話の道筋が書かれている。それに乗らないと言う事は「演技にならない」役目を果たせていないと言う事になる。だから、みんな途中まで書いた事をすぐに修正できない。
23:11
「こうじゃなきゃいけない。」と言うのは、同時に「こうありたい。」と言う事でもあると思う。だから、それは自己主張であり、個性とも言われる。同時に「頭が固い」とも言える。そうならない為には自分の演技を「ちゃんと」見る必要がある。いわゆる俯瞰てやつだ。
23:14
しかしながら、常に俯瞰の立場に身を置くとすると、自分の台本を生きている人達には理解ができない。自分が考える台本から逸脱した行為を行われるからだ。みんな世界は自分を中心に回っているという考えに陥りやすい。
23:17
そう言う話になると論理と感情の対立になる。基本的に人を動かすのは感情であり、「人間性」であり、「いい人」と思われたいと言うその場しのぎの「エゴ」である事が多いと思う。だから論理的な話と言うのはとても「冷たい」らしい。
23:21
物事には様々な問題が孕む。立場、環境により答えは大きく変わる。必要なのは、論理性か感情かではない。何を必要とするかである。しかしながら、いわゆる「日本」と言うやつは、全てにおいて感情が尊いとされる。だから、いつまでたっても何も変わらない。と言うより変わる事は、何かが崩れる事になる
23:38
と言うか、そんな偉そうな事が言いたかったんではなかったと書きたかった事を今更思い出しました。「演技」についてを言いたかったのです。
23:52
恋愛は『キスをする』とか『好き』とか『愛してる』っていう使い古された『演技』を私たちはいつまでも使い続けている。そこに『個性』なんて存在せず、誰もが行っている『恋愛』を自分だけのものとして『特別』に演じている。
23:55
今まで行ってきた自分だけの『愛情表現』のつもりが、『演技だよ。』って言われたのは冷静に考えると納得ですが、衝撃でした。それを知れただけでも『オタク息子に悩んでます』は必読の価値アリです!
23:57
恋愛に限らず、私たちは日々『演技』を行っているわけだ。それは『マナー』であり『礼儀』であり、『マニュアル』である。そういう『基礎』の積み重ねが大切。だと言われるが、あまりにも『基礎』すぎて、疑いすら持ったことがなかったのは事実です。
恋愛ってのは演技だよ。
 あなたは恋人に『愛』を伝えるのに、
どういう『表現』をされますか?

先日、岡田斗司夫さん著の『オタクの息子に悩んでます』が
お勧めです。と何の効果もない宣伝をしましたが、
個人的に一番面白く、かつとっても役に立つ
『考え方』が、書かれていました。
私たちは『恋愛』という『演技』をしていると。

『表現』というと芸術や、音楽、舞台、映像などなど、
いわゆる『アートワーク』ってやつに語られがちですが、
当然の如く、『生きている』私たちは、
他者に対し表現し続けているわけですね。

その表現を『いいね』とか『サイテー』なんて、
誰もが言うわけで、アートワークなんかで言えば、
突出していることが『素晴らしい表現で素敵。』となり、
日常生活で言えば『あんた馬鹿?』って言われるわけです。
同じ『表現』なのになんで?
って個人的には思うわけですが、
『日常』においては、『個性』よりも『ルール』が尊し、
とされるように思います。

と、そんな愚痴を言いたいわけではなく、
個人的には『表現』というものは多種多様であるべきだと思うのです。
感動を表現するのに、『いいね』とか、拍手だけっていうのは、
どうも拍子抜けするわけです。

人にはそれぞれ感じ方があり、『表現』の仕方がある。
それは誰かに指図されたものではなく、
時には大きなジェスチャーとして体中で表現したり、
衝撃的過ぎて動けなくなるっていうのでも良い様に思います。

恋する相手に『好きだよ。』とか『愛してる。』
とか誰もが言っている言葉を告げるのではなく、
サルの様に叫ぶもよし、ダンスで表現するでも良い。
せっかく自分だけの人なのだから、
たぶん理解はしてもらえないでしょうけど、
個人的にはそんな体当たりをするような人が好きです。

って、なんの話だ。

少なからず、私たちはどうも『こうじゃなきゃいけない。』とか、
『この方がよいだろう』とかっていう、
使い古された『表現』だけに頼りがちになっているように思う。
きっとそこからはなにも生まれない。

でも、自分だけの表現というのは、
なかなかに理解されないもんなんですよね〜。

でも、サルの言葉はわからないけど、
あのサルたちは愛し合ってるんだな〜なんてのは、
本当かどうかは置いておいて、端からはわかるように思うわけです。
必要なのは『言葉』ではない。

『表現』であり『個性』である。

2012年10月15日のつぶやき
15:15
集団と個なんて事がよく言われるが、実は日本人と言うのは一億三千人もいないんじゃないの?って思う。都内を走っていて私と同じ黄色のフュージョンは全く見かけなくなった気がする。黄色のフュージョンを見かけたらそれは私である確率がかなり高い。なんて、どうでもいい事を思う。
2012年10月14日のつぶやき
00:09
おすすめの本 岡田斗司夫著『オタクの息子に悩んでます』 http://t.co/98ahn50P #jugem_blog