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2012年09月26日のつぶやき
00:26
圧倒的な素晴らしさ『庵野秀明 特撮博物館 巨神兵東京に現れる』 http://t.co/W4zTIkce #jugem_blog
2012年09月25日のつぶやき
00:17
人に何かを説いていると、時折、自分が高尚な人間にでもなったような酔いが起こってくる。酔いはあくまで酔いである。基本的にはシラフでいたい。ただ、時には高尚な人間を演じざるおえない場合がある。そんな時自分の酔いをちゃんと眺められるようにありたいものだ。
13:02
特撮博物館が凄すぎる。個人的には大徳川展並みの感動。男の子で興奮しない子はいないだろう。かつての日本人のデザインセンスの高さは異常だ。
圧倒的な素晴らしさ『庵野秀明 特撮博物館 巨神兵東京に現れる』
 練度の違いは1本の線の引き方にも表れる。

お買い物でも、展覧会巡りでも
基本的に私の所有時間は引かれるほどに短いようです。
ウインドウショッピングは無料だから別として、
美術館などは時間に関係なく1000円前後かかってしまうわけですが、
ほとんどの展覧会の所有時間は15分〜20分がアベレージです。
って、まったくもって自慢にもなんにもならない訳ですが。。。

そんな私がこれまでに所要時間が2時間弱、
また、もう一回行こう!と思った展覧会があります。
それは、大徳川展と東山魁夷展。
特に大徳川展の素晴らしさはテンションが上がりすぎて、
当時はまったく言葉にできないぐらいでした。

と、そんなどうでも良い話は置いておいて、
久しぶりにきました。
『特撮博物館 巨神兵東京に現れる』
後の予定があった為1時間強で出ざるおえませんでしたが、
次の予定に遅刻してでも踏み止まりたいと思わせる素晴らしさでした。

巨神兵が一番の話題になっておりますが、
個人的に感動したのは『圧倒的な造形力』。
巨神兵は展覧会の一部であり、
多くの特撮映画に使われたミニチュアやドローイング、
ウルトラマンとかゴジラとか、男の子にとっては、
興奮間違いなしのお宝の数々。
精巧に作られた電柱や破壊された国会議事堂、
なによりも素晴らしいのは、
江戸や明治などの異世界ではなく、
『昭和の日本人』がそれらを作っていた。
考え、描き、具現化してきたということに尽きると思いました。

マグマ大使のロケットはスタルクを彷彿させ、
『スタルク、パクったんじゃね?』と思わせ、
成田亨のデザインは『ウォーホール?なんぼのもんじゃい!』
って、個人的に思わせるぐらいに美しくかっこいい。
ミニチュアの数々も思わず手を伸ばしたくなるほど
妖艶なラインを描き、
『ポルシェ?ウルトラマンのヒップラインを見よ!』
とか、もう本当に素晴らしい造形品の数々でした。

と、そんな興奮を羅列しても仕方ないですが、
本当に素晴らしい展覧会でした。
ただ、作品群の素晴らしさは語り尽くせないし、
庵野さんのキュレーション力も素晴らしいと思いますが、
展覧会として、東京って場所でやるには、
各部屋の狭さったらありゃしません。
その狭さの理由も勝手に意味を見つけたりはしますが、
きっと、土日とか最終週とかはひどいことになるんだろうな〜。
と思いつつも、初めて2700円も出して、
展覧会図録まで買ってしまうぐらい感動し、
皆様にお見せするにも恥ずかしい様な、
稚拙な日記を書きたくなってしまう様な本当に素晴らしい展覧会でした。

『日本人よ。これがデザインだ!』って言えるぐらい、
『アップル?i phone?このアールがね〜。。。』って言えるぐらい、
美しく、かっこいい『デザイン』がここにあります。
圧倒的な『美術品』の数々、日本人なら知るべきです。
きっと日本が好きになります。

なんて、少し熱くなってしまいましたが、
日本橋三越で行われている『日本伝統工芸展』に
出展されている作品の数々も素晴らしかったです。
ただし、展示計画は最低。
また、『アート(ナイト)アクアリウム』も最低。
トピックスで見たときは『なんて美しいんだ!』って思ったのですが、
二つとも、それぞれの作品に対する『愛情』が絶対的に低い。
と、あんまり文句は言いたくなかったのですが、
あまりにも、『愛情』と『感動』に溢れた
『特撮博物館』を観て、
『やっぱり日本人はプレゼンテーション能力が低すぎる。』
なんて偉そうなことを思うのでした。

ほんと良いから、行ける人は是非行きましょう。
男の子でこのブログを読んで下さっている様な人で感動しない人は
絶対にいないはず!『行かないやつは、馬鹿だ!』

『館長庵野秀明 特撮博物館』
http://www.ntv.co.jp/tokusatsu/

『日本伝統展』
http://www.mitsukoshi.co.jp/store/1010/dentoukougei/
展示の仕方に異常な腹立たしさを覚えますが、
作品のクオリティの高さは圧倒的です。

『アート(ナイト)アクアリウム』
http://h-i-d.co.jp/art/
とりあえず、撮影は禁止にしようよ。。。
もっと出来るはずという期待を込めて。
2012年09月21日のつぶやき
23:37
映画「かぞくのくに」を観た。「えー…。」と言うのが正直な感想。リアルには受け入れられない現実。でも、主人公の様に、僕もリモワを買う必要がある様な気がする。
2012年09月14日のつぶやき
23:58
10年間顔にあったガラスを想う http://t.co/RzLgXE7y #jugem_blog
10年間顔にあったガラスを想う
ものの価値はなにで決まるのでしょうか?

10年前バイク事故を起こした時に
顔に突き刺さったガラスが顔からとれた。
ただのガラスだが、10年間も『常にあったもの』ということに、
なんとなく感じ入ったりする。
ただの車のガラスなわけだが。。。

プレスリーだか誰かのブリーフが、
最低落札額の設定の影響で落札こそされなかったそうですが、
64万円近くの価格まで競られたらしいですね。
だからなんだって話ですが。
相手は『プレスリー』ですし。。。

真珠は貝の内側に『たまたま』入った『異物(wiki参照)』を
分泌されたミネラルやカルシウムが幾月も異物を覆うことで形成される。
年月が作り上げる『偶然の産物』であったわけである。

熟成されたものはやたら『高価』に『深み』を帯びる。
もしかしたら『1980年』は『偶然の産物』だったのかもしれないが、
『経過した過去』は、思い出の数だけ深い味わいになりそうだ。
というか、なってくれないと困る。
だって、ビンテージは高いものが多いから。

なんて、つぶやきの様なお話であり、
はっきり言ってなんの価値もない『ガラス』ですが、
個人的には少し愛しくも思える。

また、場合によっては、
『ターニングポイント』として設定する事も出来る。
要は『たまたま』だ。
と、そんな気がした。

でも、個人的には、『寄り添った年月』というのは、
とても価値を持つ様に思う。
だから、偶然であったにせよ、
顔に刺さった『ただのガラス』にも、
価値を想う。

でも、この価値は私だけのものでしかない。
2012年09月09日のつぶやき
00:36
どちらかと言うと、ギリギリで生きていたい。その方が生きてる事を肌に感じられるから。でも、日焼けと一緒で焼き続けると身体に色々な影響がでる。でも、やっぱり海には裸で飛び込みたいし、雪には顔を埋めたいと思う。痛みと快感は同じところにある。
00:41
ギリギリっていうのは、コミットメントする感覚に近い、どれだけ多くの事に敏感であれるか、でも、素手での作業だから、道ばたのゴミ拾いで、ガラスに気づかず指先を切ったりする。でも、軍手をつけると手が蒸すし、なんか拾っているものがすべて『ゴミ』にしか見えなくなる。
00:45
見方によって、道ばたの『ゴミ』は様々に変わる。子供達は割れた瓶を宝石だと思い武田鉄矢はナットでプロポーズした。でも、軍手をしていたら、割れた宝石もナットの指輪もゴミ箱にしか入らない。
00:50
仕事で言えば、立場が上がるにつれコミットメントの影響が大きくなる。でも、その影響は軍手の下でしか感じられない。蒸した手から出る汗が軍手を濡らし、汗を吸い臭いを発するようになる。肌感覚が大事。と言われるが、そう言われると、そうでもない。と言いたくなる。
00:54
ギリギリで生きない魅力は、質の良い生地に袖を通した様な感覚。着ていることを感じさせず、それでいて快適な身体を保つ。汗とか、臭いとか、血とか、そんなのない。額に飾られた写真の様な世界。映画『アーティスト』の最初の頃の世界。そこには『スター』がいた。
00:59
でも、『スター』達は実際はギリギリで生きていることが多かったりする。またギリギリで生きていた『結果』として、肌感覚とは別の『生きてる感』を得たのかもしれない。それは、恐らく良い意味での『ゲーム的感覚』。一度っきりの人生楽しもうぜ!みたいな。
01:03
この『ゲーム的感覚』を生きる事をみんなが求めようとしている気がする。それはゲームとして楽しめるが、賭けるものがないと中には入れない。でも、テレビの前で、傍観者は選手達を罵る。
01:06
ギリギリで生きた結果得られる『肌感覚』という『想像力(イメージ)』それを持って初めて『ゲーム』に参加する事が出来る。想像力があるからこそ『ヴァーチャル』なイベントにも『痛み』を感じる。
01:08
結果はやっぱり『ギリギリで生きるしかなしじゃないの。。。』って感じになってしまいましたが、どうなんでしょうか?個人的にはありですが、正直『痛い』のはそんなに好きじゃない。どちらかというと、ギリギリで生きていたい。どちらかというとね。
2012年09月08日のつぶやき
01:03
映画『テイク・ディス・ワルツ』とっても痛い映画 http://t.co/a2PJAPb4 #jugem_blog
01:04
映画『テイク・ディス・ワルツ』 『赤ん坊が泣く理由はだいたいわかる。 お腹が減ったとか、おしっことか汗疹が出来たとか。 だから90%ぐらいあやす事は出来るけど、どうしても、理由がわからない時がある。』
01:05
その、10%は大人になってもあるんだけれど、それはとても一瞬だから、赤ん坊の様に大人は感情を爆発させる機会を逃す。 その一瞬は、『世界』と『自分』の繋がりに対する不安。
01:05
その『不安』の穴を埋めてくれるのは『愛』かもしれない。でも、その『愛』の『形』というのは、食べ物を与える事や、おむつを換える事、汗を拭うことなど、誰にでも当てはまるものではない。 そして、それを求め泣き叫ぶ本人にもきっと、どれが適切な『形』なのかは、わからない。。。
01:06
ストーリーは、結婚5年目倦怠期を感じだした妻(主人公)。 夫婦生活はそれなりにじゃれあったり、それなりに仲が良い。 でも、時々10%の『不安が襲う』。 だから、その不安を感じない様にと『愛してる』を唱え、 夫婦生活を成り立たせようと努力する。
01:06
ある日、ふとしたきっかけで出会った男性は、とりとめがなく不思議な男。 不思議な男は、主人公に素朴な刺激を与える。 その刺激に酔いつつも今の夫婦生活という『自分』を壊す勇気は なかなか出ない。だって夫を『愛しているから。。。』
01:06
ある朝、ポストに投函する音が聞こえ床に落ちた手紙を見ると、 そこには男のメッセージ。そして、カーテンを開けると、 荷物をまとめ、トラックに乗り男は去っていく。 そして、やっと『気づく』。
01:06
朝、夫にそのことを告げた。 夫はなかなか受入れなかったが理解した。 そして、夫に送られ妻は出て行く。 『不安』を埋めてくれるかもしれない『新生活』を求めて。 って、これ以上はネタバレになりますので、 見ようと思っておられる方はここまでで。
01:07
ストーリー自体はよくある感じなのですが、 監督が女監督という事で、男として単純に男と女の 『くだらなすぎる行き違い』というか考え方の違い 女は『(くだらない)じゃれあい』を愛情表現とし、 男は『(くだらない)いたずら』を愛情表現とする。
01:07
でも、お互いにお互いの愛情表現を愛情表現ではなく、 単純に『くだらない行為』だと思い、 お互いに『(相手の)愛がない。』って感じているっていう。 第三者から見たら『馬鹿!!』って、 『(お互いに)気づいてないだけじゃん。。。』
01:07
ていう倦怠期だからなのか、『恋は盲目』ならぬ、 『自己愛こそ盲目』的なことを再認識し、 素直に勉強になりました感。 そして、主人公が純粋すぎるからこそ『痛々しい』感。 (まっすぐにくるからほんとに痛い。自分に当てはめてみたり。)
01:08
『10%の不安』というのに、私の興味は行く訳です。 個人的にはとてもしっくり来る感覚で、 この10%が人生を装飾的に『デザイン』するところだと個人的には思う訳です。
01:08
その他の、泣く原因というのは容易に補う事が出来る『欲求』であり、 いわゆる『金で買えるもの』という感じがします。 『自由に買える』また、『思う通りに使える(自分のもの的)』。
01:09
かたや、10%というのは『なにかわからない。』 ぼんやりとした感覚『なんで生きてる?』とか、 『自分の意味はあるの?』とか、 『世界』と『自分』というまったく別のものに 『何の関係があるの?』という感覚。 『取り残された感』というのでしょうか。
01:09
個人的には『取り残された感』が一番しっくり来る訳です。 それは、子供の頃、見知らぬ町で迷子になり、 『世界(家族)』と分断されてしまった様な感覚。 『えっ?』っていう。訳の分からない感覚。 どうしたらいいとか、そんな話じゃなく『えっ?』。 目が点的に、頭が真っ白な感覚ですね。
01:09
そんな感覚が大人になっても『一瞬』だけどある。 その『一瞬』に映画『KOTOKO』の主人公はリストカットし、 生を確かめたり、『桐島』は部活をやめたりする。
01:10
言葉にするのはなかなか難しいけれど、 その『えっ?』っていう瞬間に『ポジティブな意味』 なんてものを見つけられたら、きっと人生はうまくいき、 『ネガティブ(自己愛)』なものを見つけてしまうと、 固執していく。
01:10
10%の解決法は人の数だけバラバラだけど、 この映画の主人公は夫の『愛情表現』と、 自分の愛情表現が『伝わっていない』ことを理解するか、 夫の様に『信じる』かしかなかったんでしょうね。
01:11
10%の『不安』を埋めることができるのは『他者』だけである。 同時に『信じる』だけであり、 『信じる』以外に本人ができる方法はない。 『デザイン』は他者のものである。 映画『テイク・ディス・ワルツ』 http://t.co/Zq2JpnUo おすすめです。
01:22
日本語授業だったら認められる@kenichiromogi: ちがうよね。@2815JAY: 中学英語、微妙な下線部の発音、ほぼ同じ内容の文の書き換え問題、何語で書け、と語数きっちり指定された英作文。これっておかしくない?ってずっと語学の道を進んだ先生に言ったら、どこが?って
映画『テイク・ディス・ワルツ』とっても痛い映画
 『赤ん坊が泣く理由はだいたいわかる。
お腹が減ったとか、おしっことか汗疹が出来たとか。
だから90%ぐらいあやす事は出来るけど、
どうしても、理由がわからない時がある。』

なんて感じの台詞が印象的だった
映画『Take this waltz』を観てきました。
痛い。かなり嫌いな映画でしたが、とても面白い映画でした。

その、10%は大人になってもあるんだけれど、
それはとても一瞬だから、赤ん坊の様に大人は感情を爆発させる機会を逃す。
その一瞬は、『世界』と『自分』の繋がりに対する不安。

その『不安』の穴を埋めてくれるのは『愛』かもしれない。
でも、その『愛』の『形』というのは、
食べ物を与える事や、おむつを換える事、汗を拭うことなど、
誰にでも当てはまるものではない。
そして、それを求め泣き叫ぶ本人にもきっと、
どれが適切な『形』なのかは、わからない。。。
っていう感じの映画でした。

ストーリーは、結婚5年目倦怠期を感じだした妻(主人公)。
夫婦生活はそれなりにじゃれあったり、それなりに仲が良い。
でも、時々10%の『不安が襲う』。
だから、その不安を感じない様にと『愛してる』を唱え、
夫婦生活を成り立たせようと努力する。

ある日、ふとしたきっかけで出会った男性は、とりとめがなく不思議な男。
不思議な男は、主人公に素朴な刺激を与える。
その刺激に酔いつつも今の夫婦生活という『自分』を壊す勇気は
なかなか出ない。だって夫を『愛しているから。。。』

ある朝、ポストに投函する音が聞こえ床に落ちた手紙を見ると、
そこには男のメッセージ。そして、カーテンを開けると、
荷物をまとめ、トラックに乗り男は去っていく。
そして、やっと『気づく』。

朝、夫にそのことを告げた。
夫はなかなか受入れなかったが理解した。
そして、夫に送られ妻は出て行く。
『不安』を埋めてくれるかもしれない『新生活』を求めて。

って、これ以上はネタバレになりますので、
見ようと思っておられる方はここまでで。

で、話としては、男のとこに行き、
楽しく刺激的な時を謳歌するのですが、
月日は流れ、同じ倦怠期がやってくるわけですね〜。
で、ふとしたきっかけで少し成長した元夫の所に戻ることに。
そしたら、
『人生なんて、どこか物足りないものなのよ!』
って、仲の良かった義理の姉に言われ、
離れてみてやっと気づいた素敵な夫からも、
『(復縁?)それはない!』って言われ、
『負け犬人生確定!』って感じになっちゃうわけですね〜。

そして、最後は。。。

最後は自分を慰める意味で、良い様に捉える事も出来ますし、
悪い様に捉える事も出来ます。
ま、ほとんどの人が『ウッ。。。』って感じになると思いますが。

ストーリー自体はよくある感じなのですが、
監督が女監督という事で、男として単純に男と女の
『くだらなすぎる行き違い』というか考え方の違い
女は『(くだらない)じゃれあい』を愛情表現とし、
男は『(くだらない)いたずら』を愛情表現とする。
でも、お互いにお互いの愛情表現を愛情表現ではなく、
単純に『くだらない行為』だと思い、
お互いに『(相手の)愛がない。』って感じているっていう。

第三者から見たら『馬鹿!!』って、
『(お互いに)気づいてないだけじゃん。。。』
ていう倦怠期だからなのか、『恋は盲目』ならぬ、
『自己愛こそ盲目』的なことを再認識し、
素直に勉強になりました感。

そして、主人公が純粋すぎるからこそ『痛々しい』感。
(まっすぐにくるからほんとに痛い。自分に当てはめてみたり。)

そして、自己愛に盲目になっていることに気づけなくなってしまったら、
『The end』感。

と、冗談ぽい感じはこれぐらいにしておいて、
『10%の不安』というのに、私の興味は行く訳です。
個人的にはとてもしっくり来る感覚で、
この10%が人生を装飾的に『デザイン』
するところだと個人的には思う訳です。
その他の、泣く原因というのは容易に補う事が出来る『欲求』であり、
いわゆる『金で買えるもの』という感じがします。
『自由に買える』また、『思う通りに使える(自分のもの的)』。

かたや、10%というのは『なにかわからない。』
ぼんやりとした感覚『なんで生きてる?』とか、
『自分の意味はあるの?』とか、
『世界』と『自分』というまったく別のものに
『何の関係があるの?』という感覚。
『取り残された感』というのでしょうか。

個人的には『取り残された感』が一番しっくり来る訳です。
それは、子供の頃、見知らぬ町で迷子になり、
『世界(家族)』と分断されてしまった様な感覚。

『えっ?』っていう。訳の分からない感覚。
どうしたらいいとか、そんな話じゃなく『えっ?』。
目が点的に、頭が真っ白な感覚ですね。

そんな感覚が大人になっても『一瞬』だけどある。
その『一瞬』に映画『KOTOKO』の主人公はリストカットし、
生を確かめたり、『桐島』は部活をやめたりする。

言葉にするのはなかなか難しいけれど、
その『えっ?』っていう瞬間に『ポジティブな意味』
なんてものを見つけられたら、きっと人生はうまくいき、
『ネガティブ(自己愛)』なものを見つけてしまうと、
固執していく。

10%の解決法は人の数だけバラバラだけど、
この映画の主人公は夫の『愛情表現』と、
自分の愛情表現が『伝わっていない』ことを理解するか、
夫の様に『信じる』かしかなかったんでしょうね。

10%の『不安』を埋めることができるのは『他者』だけである。
同時に『信じる』だけであり、
『信じる』以外に本人ができる方法はない。

『デザイン』は他者のものである。

映画『テイクディスワルツ
http://takethiswaltz.jp/

10%の不安に飲み込まれた感じかな?
映画『KOTOKO』

2012年09月05日のつぶやき
16:11
宋文洲さんのブログ。私も竜馬がいく。は好きですが、坂本龍馬なんて後世の人の美談に過ぎない。国とか人とかに頼らず、例え些細な事でも、自分の為に必死で生きないといけないなぁ。とつくづく思う。 日本はなぜ金メダルが少ないか http://t.co/WwqE8lQF #blomaga