『赤ん坊が泣く理由はだいたいわかる。
お腹が減ったとか、おしっことか汗疹が出来たとか。
だから90%ぐらいあやす事は出来るけど、
どうしても、理由がわからない時がある。』
なんて感じの台詞が印象的だった
映画『Take this waltz』を観てきました。
痛い。かなり嫌いな映画でしたが、とても面白い映画でした。
その、10%は大人になってもあるんだけれど、
それはとても一瞬だから、赤ん坊の様に大人は感情を爆発させる機会を逃す。
その一瞬は、『世界』と『自分』の繋がりに対する不安。
その『不安』の穴を埋めてくれるのは『愛』かもしれない。
でも、その『愛』の『形』というのは、
食べ物を与える事や、おむつを換える事、汗を拭うことなど、
誰にでも当てはまるものではない。
そして、それを求め泣き叫ぶ本人にもきっと、
どれが適切な『形』なのかは、わからない。。。
っていう感じの映画でした。
ストーリーは、結婚5年目倦怠期を感じだした妻(主人公)。
夫婦生活はそれなりにじゃれあったり、それなりに仲が良い。
でも、時々10%の『不安が襲う』。
だから、その不安を感じない様にと『愛してる』を唱え、
夫婦生活を成り立たせようと努力する。
ある日、ふとしたきっかけで出会った男性は、とりとめがなく不思議な男。
不思議な男は、主人公に素朴な刺激を与える。
その刺激に酔いつつも今の夫婦生活という『自分』を壊す勇気は
なかなか出ない。だって夫を『愛しているから。。。』
ある朝、ポストに投函する音が聞こえ床に落ちた手紙を見ると、
そこには男のメッセージ。そして、カーテンを開けると、
荷物をまとめ、トラックに乗り男は去っていく。
そして、やっと『気づく』。
朝、夫にそのことを告げた。
夫はなかなか受入れなかったが理解した。
そして、夫に送られ妻は出て行く。
『不安』を埋めてくれるかもしれない『新生活』を求めて。
って、これ以上はネタバレになりますので、
見ようと思っておられる方はここまでで。
で、話としては、男のとこに行き、
楽しく刺激的な時を謳歌するのですが、
月日は流れ、同じ倦怠期がやってくるわけですね〜。
で、ふとしたきっかけで少し成長した元夫の所に戻ることに。
そしたら、
『人生なんて、どこか物足りないものなのよ!』
って、仲の良かった義理の姉に言われ、
離れてみてやっと気づいた素敵な夫からも、
『(復縁?)それはない!』って言われ、
『負け犬人生確定!』って感じになっちゃうわけですね〜。
そして、最後は。。。
最後は自分を慰める意味で、良い様に捉える事も出来ますし、
悪い様に捉える事も出来ます。
ま、ほとんどの人が『ウッ。。。』って感じになると思いますが。
ストーリー自体はよくある感じなのですが、
監督が女監督という事で、男として単純に男と女の
『くだらなすぎる行き違い』というか考え方の違い
女は『(くだらない)じゃれあい』を愛情表現とし、
男は『(くだらない)いたずら』を愛情表現とする。
でも、お互いにお互いの愛情表現を愛情表現ではなく、
単純に『くだらない行為』だと思い、
お互いに『(相手の)愛がない。』って感じているっていう。
第三者から見たら『馬鹿!!』って、
『(お互いに)気づいてないだけじゃん。。。』
ていう倦怠期だからなのか、『恋は盲目』ならぬ、
『自己愛こそ盲目』的なことを再認識し、
素直に勉強になりました感。
そして、主人公が純粋すぎるからこそ『痛々しい』感。
(まっすぐにくるからほんとに痛い。自分に当てはめてみたり。)
そして、自己愛に盲目になっていることに気づけなくなってしまったら、
『The end』感。
と、冗談ぽい感じはこれぐらいにしておいて、
『10%の不安』というのに、私の興味は行く訳です。
個人的にはとてもしっくり来る感覚で、
この10%が人生を装飾的に『デザイン』
するところだと個人的には思う訳です。
その他の、泣く原因というのは容易に補う事が出来る『欲求』であり、
いわゆる『金で買えるもの』という感じがします。
『自由に買える』また、『思う通りに使える(自分のもの的)』。
かたや、10%というのは『なにかわからない。』
ぼんやりとした感覚『なんで生きてる?』とか、
『自分の意味はあるの?』とか、
『世界』と『自分』というまったく別のものに
『何の関係があるの?』という感覚。
『取り残された感』というのでしょうか。
個人的には『取り残された感』が一番しっくり来る訳です。
それは、子供の頃、見知らぬ町で迷子になり、
『世界(家族)』と分断されてしまった様な感覚。
『えっ?』っていう。訳の分からない感覚。
どうしたらいいとか、そんな話じゃなく『えっ?』。
目が点的に、頭が真っ白な感覚ですね。
そんな感覚が大人になっても『一瞬』だけどある。
その『一瞬』に映画『KOTOKO』の主人公はリストカットし、
生を確かめたり、『桐島』は部活をやめたりする。
言葉にするのはなかなか難しいけれど、
その『えっ?』っていう瞬間に『ポジティブな意味』
なんてものを見つけられたら、きっと人生はうまくいき、
『ネガティブ(自己愛)』なものを見つけてしまうと、
固執していく。
10%の解決法は人の数だけバラバラだけど、
この映画の主人公は夫の『愛情表現』と、
自分の愛情表現が『伝わっていない』ことを理解するか、
夫の様に『信じる』かしかなかったんでしょうね。
10%の『不安』を埋めることができるのは『他者』だけである。
同時に『信じる』だけであり、
『信じる』以外に本人ができる方法はない。
『デザイン』は他者のものである。
映画『テイク・ディス・ワルツ』http://takethiswaltz.jp/
10%の不安に飲み込まれた感じかな?
映画『KOTOKO』