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瞑想入門 1日目
 というわけでスタートです。
実験初日は、お風呂上がり就寝準備完了。
やり方、内容に興味のある方は、興味がで次第調べて下さい。

結果から申しますと、
就寝前だからか、日頃から比較的、
『今日は今日。明日は明日。』、
『どうでもいいよ。。。』という感じの性格だからか、
第2段階という境地瞑想というやつに、
『意外に簡単にいけんじゃね。』という印象です。

要約して申しますと、
第一段階というのは、頭の中を整理しからっぽの状態にし、
脳を『休める』、または『働きを止める』というのが、
第1段階であり『リフレッシュ』させることのようです。

そして、第2段階が過去の記憶を辿り、
記憶を高めたり、見つめ直し場合によっては、
『トラウマ』の解除の様な成果が出たり、
単純に脳の『機能性』を『鍛える』効果があったり、
『エクスタシー』を感じられるそうです。

そして、バージンの私は今日は、
『これって空っぽの状態?』というぐらいじゃないのかな?
というぐらいの感覚を覚え、
全身を一瞬『闇』に覆われた様な感覚を覚えました。

長文にすると続きそうにないのでこれぐらいにて。
瞑想入門前書き
 というわけで、これから瞑想入門しようと思います。
出来るだけ毎日記録し、場合によってはお読み頂いている方に
『瞑想ってのも良いかもしれない。』と思う方が
現れるかもしれませんし、
『やっぱり、意味ないのか。』と思う方が現れるかもしれない。

一昨年の一日一食生活に続き、
第二弾『人体実験・瞑想編』を記録しようと思います。
ブログをお読み頂いている方であれば、
私の猜疑心ぷりはある程度把握して頂けている事かと思いますので、
極力大げさにならない範囲で、
検証結果を述べられれば良いな。
と思っております。

きっかけとしては、学生時代にタイで出会った、
パンガン島のフルムーンパーティには、
『音楽とドラッグとセックス。欲しいもの全てがあった。』
なんて言っていた『ラリッた』人が言っていたなんとも怪しげ〜。
な印象というのが第一印象であり、
最近では怪しげ〜な高城剛さんがメルマガでいっておられるのを読み、
『。。。』という印象で、なら調べてみるか。
と、先日購入した。『楽しもう。瞑想』を読んでみて、
確かに理屈は納得出来ると思ったからなのです。

そして、信仰心というよりは、
『北斗神拳』の様に少しでも、
人間の可能性というやつを上げる事が出来ればという、
本当であれば『超合理的』な今後の武器となりうるから、
みんなが始める前にやってやろうという、
汚い理由からである訳です。

という、前置きはこれぐらいにして、
『楽しもう。瞑想』スタートです。

ちなみに、同著者の『始めよう。瞑想』は、
これを買ったとしたら必要ないと思います。
ほぼ同じ内容であり、よりわかりやすくなっているので。

DOCUMENTARY of AKB48
 『立場が人を育てる。』

映画『DOCUMENTARY of AKB48』を観てきました。
どちらかというと興味のないジャンルであり、
むしろ嫌いな部類に入るぐらいですが、
映画はとても面白いものでした。

不躾なお話ですが、
私は中高生ってやつや、オタク的ファンの様な、
それこそAKBを取巻く環境の様なものが大嫌いです。
自身が中高生の時も『早く大人になりたい。』という様な、
意志を持っていた様に思います。
そして、この映画を観ながら改めて
『ああ。やっぱり、こいつら嫌いだ。』
って、やっぱり思ってしまいました。

と、個人的な話はそれぐらいにして、
要はそういったそういった対象を無縁に感じていた訳です。
しかしながら、映画を観てみて
秋元康さんという方のずば抜けたセンスの良さを、
改めて感じる訳です。

映画の内容を説明しても仕方がないので、
個人的な感想は、プロフェッショナル論的な話であり、
『アイドル』という競争原理の中で、
今、日本が完全に失った『責任感』と『危機感』と『欲望』が、
表現され、勝者と負け組の成り立ちの構図を
『思いっきり』描いている訳です。

いわゆるファンであり、傍観者たちは、
偶像を崇拝し、同時に偶像に逃避し、
アイドルであり、当事者は、
神に挑み、己と戦う訳です。

と、そんな『現実的』なアイドルの構造を
描いた話も面白かったのですが、
個人的に考えさせられたのは、
『立場』ということだったように思います。

以前に『役目』ということについて記載しましたが、
なにかにつけ私たち人間は己を『表示』する為に、
『プロフィール』をつけます。
そして、『地位』や『評価』という他者から与えられたものが、
己の『プロフィール』であり、全てであると、
そのプロフィールの中を生きる訳です。

昨今では公務員を志望する『人種』が大量に増えたと言われています。
『可能性』よりも『リスク』が重視され、
『大きな幸せ』よりも『手頃な幸せ』が求められるそうですね。

『公務員として生きる私は、取り立てて裕福ではないが、
大きな不幸もなく、家族がいて、週に1度ぐらいは
外食にも出かけられる。それで幸せかどうかは人それぞれだが、
私個人は幸せですよ。』
って。

まあ、そうなんでしょうよ。
と、悪態をつきながらも、そう言った状況が
『キープ』出来れば幸せだと思います。

ここ最近、毎度毎度のお話で恐縮ですが、
やっぱり私は、この『キープ』ってやつが嫌いなようです。
そして、同時に『中高生』って、
一種、『現実社会』とは違う場所にいる様に
勘違いしている『学生』が嫌いであり、
こんな時代だからこそ『かわいそすぎる』と、思う訳です。

まあ、決して他人事ではない訳ですが、
中高生が嫌いなのではなく、
それぞれの『立場』ってやつに『安住』している、
または安住出来るなんて考えているもしくは、
考えてもいないやつが嫌いなんだ。
ということに気がつけたとても面白い映画でした。

個人的には、退屈なストーリーもありますが、
私が感じた事が意図されているかどうかは置いておいて、
映画『サウダーヂ』より、受け入れやすく、
同時にわかりやすい『DOCUMENTARY of AKB48』は、
面白い。そして秋元康さんはすごい。

そして、前田敦子の『巨匠』っぷりが面白すぎる。

『DOCUMENTARY of AKB48』
http://www.2010-akb48.jp/index.html
日本のあるべき姿
 World will be happy when I'm happy.

西洋的な思想と東洋的な思想が違うというのは、
比較的有名な話ではありますが、
現実世界、とかくグローバル社会ってやつの外にいると、
すっかり忘れてしまうものの様に感じます。

5名が写っている写真があります。
その真ん中の人は笑顔です。
その真ん中の人は幸せでしょうか?

という問いに対し、
西洋人と東洋人では大きく反応が違うと言われます。
西洋人はその人物を見て『Yes』と言い、
東洋人は周りの人物を見て『mmm...』と感じるそうです。

昨今では、『天才』ジョブスが騒がれ、
次世代のジョブスになるべく、
躍起になるべき風潮が漂っている様に思います。

いつの時代も、人は『ヒーロー』に憧れ、
そして『挫折』を知ります。

しかしながら、ふと思う訳です。
私たち日本人とはどういう特質があったのかと。
残念ながら過去形ですが、
私たち日本人は『残念』ながら、
いつの時代も『町人』でした。

己が『ヒーロー』ではないことを理解し『町人』でありました。
それは、なんとなく『みすぼらしい』様に捉えられがちですが、
はたしてどうなのでしょうか?

日本人の特質は『臆病』であったことだと思います。
『ヒーロー』ではないことを理解しているからこそ、
田を耕し、商いに努めました。
そして、『特別』ではないことを知っているからこそ、
『模倣』し、改良しました。

私たちはいつの間に『ヒーロー』を目指す様になったのでしょうか?
あなたが『ヒーロー』になったとき、
世界は幸せを感じるのでしょうか?

なんとなく、私たちの出来る事を知り、
また同時に『希望』の様な、『役割』を感じる次第であります。
私たち日本人は『ヒーロー』にはなれない。
ただ、だからこそ『幸せ』にはなれる。
と、そんな気がしました。

やっぱガラパゴスでしょ。
『黄金の国ジパング』は、かつては『未知の国』だった訳です。

ちょっと違うけど、こういうことだと思います。

腕の付け根はどこにある?
 腕の付け根はどこにある?

毎度おなじみのお話ですが、
常識や普通という感覚というのは、
千差万別でありながらも、
己にとってはあくまでも『当たり前』のことであり、
なかなかに疑う余地もない事の様に思います。

そんな『当たり前』のことが変わる瞬間というのは、
個人的には『大好物』であり、
これぞ生き甲斐!のように基本的には思っております。

と、戯れ言はそれぐらいにして、
今回は勝手に宣伝です。
数年前、甲野善紀氏の主催される道場に行った時
『劇的』な体験と、『肉体の可能性』なんて、
少し怪しげなことに心惹かれました。
(決して怪しげではありませんよ。)

屈伸する時に体がどれだけ曲がるか。
というのは、普通に社会生活を送っていれば、
皆さん体験済みの事だと思います。
また、数秒程度の体の補正で、
『みるみる変わる〜。』みたいな体験を
されたことがある方も少なくはないと思います。

骨の位置を補正したり、
構造を『イメージ』し、『ちゃんと』した使い方をすることで、
本来の最も『効率』の良い使い方が出来る訳ですね。

と、勝手に宣伝ですが、
私は若干猫背気味なので、
ここ数年、『姿勢』に興味を持っており、
たまたま見かけた『ねこ背は治る!』を手に取りました。

『確かにそうだ!』なんて事が多々あり、
タイトルのお話も出ております。
ねこ背の話も納得ですが、
『肺の大きさ』なんてことも以外に考えた事がなく、
知識と同時に、『常識』が変わる瞬間を迎えられ、
『イメージ』の力の強さというのを改めて感じ、
こりゃもしかすると『瞑想』なんて疑わしげなやつも、
意外にいけんじゃないかい。。。
なんて、思いながら、『楽しもう瞑想』なんてのも、
買ってみました。

決して、あっちにいこうと思っている訳ではないので、
誤解のなきよう。



0点への覚悟
 何かを得る為には何らかの代償を支払わなければならない。
その代償とは『我』という過去である。

今年は『トライ&エラー』の年。
なんて勝手に言っておりますが、年齢を重ねるにつれ、
新たなことに挑戦するのが億劫になるように思います。
と、毎度おなじみのお話ですが、
体裁であり、プライドであり、風体への気配りというのは、
関係性の社会の上で上位を占める要素である訳ですね。

そんな『作り上げられた私』を『穢す』のには、
なかなか『勇気』がいるものです。
そして、その『勇気』は小学生の『のび太』君がとるのは、
『許され』ますが、経営者の『孫正義』さんがとるのは、
『許されない』訳です。

では、◯◯◯の『あなた』には許されますか?


先日、初めて「ボルダリング」に行ってきました。
『猿』の様に『美しく』ぶらさがることは『全く』出来ず、
『豚足』の様な指には何も『ひっかかり』ませんでした。
いやはやなかなかに難しいものです。
ただ上るだけ。でしょ。
なんて思っていた『ルール』はとても難しく、
とても面白いものです。

明らかに持ちやすい石と、どうやって使うのよ。。。という石。
スタッフのお兄さんに伺うと
「使っていなかった神経が動き出すんですよ。」
「次来た時には『掴める』ようになりますよ。」
なんて、しびれるお言葉。

と、体験談は置いておいて。
想像していた『美しく』登る私は現実にはいず、
ぷるぷる震える『醜い』肉体をさらけ出す訳です。
そして、終了後「明日大丈夫だろうか。。。」
なんて、全く思わず、久しぶりの筋肉痛に酔いしれる訳です。

積み重ねられる日々を私たちは、
日々蓄積し安定する様に固める訳です。
『未来』の為に固め、『揺るがない』為に継続します。

いつの間にか私たちは『80点』を取り続けなければならないように
『脅迫』されているように思います。

しかしながら、今こそ必要な事は『100点』を目指す、
『無謀』な精神であり、『0点』をとることへ対する、
『些細な躊躇』を捨て去る事ではないでしょうか。

なんとなく『出来る私』は、もう『80点』を取った気になり、
「私は俯瞰的に見る事が出来る。」なんて、
どっかの総理大臣の様に『現在への満足』と、
『現在までの私』に酔いしれて、日々を過ごしがちの様に思います。

100点という点数を決めたのは誰でしょうか?
そのテストは小学生のテストですか?
それとも大学生のテストですか?
はたまた『神』のテストでしょうか。

基準なんていかようにもつけられます。
点数をつけるのはあくまでも『私』である訳です。

今までやっていたことはもしかすると、
『足し算』のテストだったのかもしれません。
もしかするとあなたが馬鹿にしていた事が、
『これから』のテストなのかもしれませんよ〜。

なんて言い訳を胸に『新たな事』を始める言い訳をする訳です。
『0点』を恐れるよりも『100点』を目指せる事。
それって楽しくないですか?

クライミングジム 『Rhino and Bird』
http://www.rhino-bird.com/

大人
 『大人になりたがる子供。』
なんて話を、小島慶子さんが仰っていました。
日々成長する子供達は、熱烈に成長する事を望み、
壁に成長の過程を刻み、脳に新たな知識を刻み込む。
日々『成長』することで、
『大人』という広大な『可能性の未来』に、
早く近づくのが目的の様に、子供達は
『熱烈に大人になりたがっている。』

いつのまにか私たちは『大人』ということの意味を、
それに近づくにつれ誤解しているのか、
それとも単純に真理に近づいているのか、
子供の頃とは大きく捉え方を違えている様に思います。

恐らく大多数の人が共有しているつもりである
『大人』という意味を正確にまた、
誰もが納得出来る様に説明出来る人というのは、
ほとんどおられない様に思います。
はたして『大人』とは何なのでしょうか?

なんてこれまでにも何度か記載している事ですが、
結局の所ただの言葉でしかなく、言葉でしかないからこそ、
『理想』の目標という設定が出来る、
個人的には使いやすい『単語』の様に思います。

人間の成長過程の表現は恐らく、
生まれてから死ぬまでの間にある
ある一定の期間の事を『大人』と呼び、
その後一瞬、『老人』となり衰退の象徴の様に
捉えられる様に個人的には思います。

この世に『発生』した時点から、
『成長』という様々な『経験』を積む期間を『子供』の期間とし、
その後それらの経験を『組合せ』『成熟』させる期を
『大人』の期間とする。
そして、それらが『削られていく』期間を『老化』期とし、
『大人』という期間を頂点としたいびつな三角形、
または上辺の極端に狭い台形が、
人間の『一生』の軌跡の様に思います。

さて、あなたは三角形のどの位置におられますか?

なんとなく私たちはまだ『大人』にはなれていないことを知りながら、
『一生の軌跡』の上では、己のピークは過ぎ去った様に
感じている傾向が強い様に思います。
三角形の頂点に達する前に、いつの間にか頂点を飛び越えて、
下降のラインにのっている。

子供の頃の上昇のスピードに比べると、
もしかすると明らかにスピードが落ちたのかもしれません。
しかしながら、スピードが落ちたということが、
下降していることの様に捉える傾向が強い様に思います。

ま、偉そうな事を言ってすいません。
なんとなくポッドキャストを聞いていて、
もしかすると自分自身下降のラインにのっている
気になっている様に思っているかも。。。
と自戒の意味と、まだまだ『成長途中』だということを思い直し、
勉強しなきゃな。と思う今日この頃でした。

今月観る予定の映画
『Pina/ピナ・バウシュ』
これは観るっきゃないでしょ。
http://pina.gaga.ne.jp