ルールというと、規範であり、守らなければいけないモノという
どちらかというと前近代的なものという意識を持つ方は多い様に思います。
美意識というと、感性であり、デザインであり、
創造性豊かなものという認識を持つ方が多い様に思います。
そして、『天才』というと破天荒であり、突出した存在、
まさしく人知を越えた存在。
のようにまとめて納得しようと思う傾向がある様に思います。
apple製品の特筆するところは皆様ご納得だと思いますが、
やはり『デザイン』だと思います。
見た目の『デザイン』は勿論、使い方であり、機能であり、
想像性(iTunesなどなど)という
個人個人の『あったらいいな。』ならぬ、
S.ジョブスの感性がすべてを構築しているという点ですよね。
そして、使いにくさや、充電がすぐ切れるなんて『くだらない。』
ことは置いておいて(個人的な感想です。)、
『こっちの方がいいだろ!小さい事ごちゃごちゃ言ってんじゃないよ!』
というジャイアン的主張を『スタンダード』にしてしまう
S.ジョブスの『タフさ』。
日本人は強引な人にやられちゃう訳ですね。
勿論、そんな小さい事を無視しても良いと思える
『デザイン』があったからだと思います。
と、そんなことを言っているとmac信者か。の様に思われそうですが、
細かな神経の日本人である私は、iphoneとairを使ってこそいますが、
正直、充電がすぐ切れるのは鬱陶しいし、
ネットかメールぐらいしかパソコンを使用しない私にとっては、
winの方が多分便利だし、充電がすぐ切れても問題ないという
『常識』に踊らされているスマートフォンよりも、
よくある携帯で十分な訳です。
だから、そんな私は正直、S.ジョブスについて少し考えてみたのも、
apple製品に関して少し考えてみたのも、
10月5日がほぼ初めてといってもいいぐらいなわけです。
と、そんな私的なことは置いておいて、
本人のスピーチだったか、誰かの話だったかは別にして、
『カリグラフィーが始まりだった。』という様な話を聞きました。
それは、組上げたパソコンが始めに表す文字が
すでに『デザイン』されており、
豊富なフォント、行間、文字間の指定という、
Microsoftが『理解しなかった。』どうでもいい『美意識』にこだわった。
というお話でした。
そのお話を聞いて、日本の再興がないことを改めて考えると同時に、
ある意味で西洋的な思考であり、
その『美意識』を一貫し続け、
『出荷』し続けたという純粋さにとてもタフな人なんだな。
と、思いました。(言葉が見つからないのでタフにしてみました。)
莫大な資産を持ち、自社工場でかつ、高価格商材で、
とは真逆といってもよいほど、ipodまでは浮き沈みが大きく、
かつ、自社工場は持たない。というポリシーかどうかは知りませんが、
低コストで出来るものは低コストで生産し、
こだわるところは徹底的にこだわり
(主に外装、配線なども美しかったらしいが。)
普及しやすい価格設定(ipod系列)で一発の売上でなく、
総体(iTunesなど含む)の売上で、
結果的に株価世界一となった。
という、自信なのか博打なのかはわかりませんが、
その『美意識』と、その『美意識』を徹底させた(ルール)という
『タフさ』は、皆が『天才』や『神』と言いたがるのにも、
重々納得がいく次第であります。
かつて、私たち日本人は『最も優秀な民族』だと言われました。
文化的な民族として、知的な民族として、そして野蛮な民族として。
そして、日本は独自の『美意識』を持ち守り続け、
その独自性は世界を驚嘆させました。
いつの間にかその『美意識』を守り育む『ルール』を忘れ、
『美意識』はびっくり箱に変わり、見せ物となり、
『ルール』はグローバル化という環境の中で崩壊し、
今迄、単一民族国家であり、
海という天然の要塞に守られていただけという『事実』に直面し、
『責任』であり『タフさ』というものを知らなかった私たち日本人からは、
ダヴィンチは生まれず、ホリエモンは刑務所に行くのでしょう。
と、暗い話ですが、
希望があるとすれば、
『美意識』のベースを我々は持っているはずだと思います。
その『ルール』であり、『天才』という象徴ではなく、
一貫する『タフさ』を持つ事が私たち日本人に出来る事であり、
それしかないんじゃないのかなあ。
と、思う今日この頃でした。
10月5日、一人の天才がこの世を去った。
“Stay Hungry, Stay Foolish”
天才などいない。
ご冥福をお祈り致します。