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特別な存在
 国会議事堂前駅を上がると、
村上龍著の『コインロッカーベイビー』を思い出す。

以前も書いた様に思いますが、建築家磯崎新氏が
『想像物を見ればその人の生活環境がわかる。』と、
仰っておられたそうです。

いわゆる『霞ヶ関問題』なんてことが多々言われますが、
『この街』に降りると、そんなことを怠慢な空気が感じさせる様な気がします。
(勿論、怠慢は個人的な主観です。)

いわゆる先端建築の首相官邸、すっきりとした高層の各庁舎、
威厳があるのかどうかは置いておいて国会議事堂、
そして、数多いる警察官。

街は美しく整備され、議員用、庁舎用専用のハイヤーが道路に並び、
高層の街並と、建設途中のクレーン車、余裕を持ってあけられた空、
そこを訪れる高齢者の観光客と、無垢な小学生達。

とてもとても美しくて、そして、すべてが守られていて、
そこを汚す人は決して現れる事なく時間が流れる。

きっと、ここにいると、世界は何事もなく、
そして、その『環境』に生きる自分たちは特別なんだと思うのも、
なんとなく理解出来てしまいます。

いっそのこと、いわゆる若者達を闊歩させ、
女子高生を地べたに配置し、直販の野菜売りの方々を派遣すれば、
少し世界が変わる気がします。

あまりにも浄化された街は、決して何も生まない。

まあ、キャストを設定する事も、
キャストを設定する要素があるということも、
『特別な街』の条件としてはすでに成立してますね。

ようやく、ニュースなどでも破綻の可能性が取り上げられだしたようですが、
決して何も変わらない事を、改めて思い知らされた様な気持ちです。

『生きろ。』
というメッセージにも少し違和感を持つ今日この頃です。


のっていれば欲しい本
BONES-動物の骨格と機能美
http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/116557.html
またですが、かっこいいです。
補助
  何事においても一定の間隔があいてしまうと、
なんだか『わだかまり』が出来るもので。。。

と、台風を期に更新してみる次第であります。
今日は目に見える範囲でも至る所に透明のビニールと、
折れ曲がった針金が散らばり、
信号待ちで『傘』という原型を必死で守ろうとする女性は、
一人だけ風と戦っていました。

結果は、風の勝利に終わり、そこには『ゴミ』が生まれました。

『左手は添えるだけ。』
というと、バスケットや野球、或いは剣道を連想される方など
人それぞれかと思います。野球は右手かな?
力を抜いて添えるだけの『存在』に意味なんてあるの?
なんて、もしかすると思うこともあるかもしれませんが、
経験された方であればご理解頂けることと思います。

さて、道を抜けると突如として突きつける横風、
右から左からと不規則に吹き荒れる雨、
往来を行き来する他人。
傘の『舵取り』はなかなかに難しいものです。

亀のように縮こまり、前進すれば人を刺し、
傘を背に風に乗れば、おっとっと。
なんて冗談はさておき、
何事においても『偏り』はバランスを欠くものです。
時には軌道修正が必要であり、
時には放棄することが必要であるわけですね。

それを可能にするのが『左手』であり、
『添えるだけ』であるわけです。

なんて至極当たり前のことですが、
台風という『敵』に出くわすとどこか力が入ってしまいます。
時には頑なに握られた右手を離し、
左手だけで支えられた柄に『添えるだけ』で、
風の流れを感じてみたり、
女性であればお化粧と髪形を守ることに専念して、
『必死な形相』を放棄したり、
何が大事かを考えてみて欲しいものです。

と、そんな私は、『ごみ』を生んでしまうよりも、
必死に濡れないことに執着するよりも、
いっそのこと傘をたたんで、
『水も滴る。。。』気分で、
台風の中、家路についてみる次第であります。

戦うことを条件に固執すると、それが犯された時に失望が生まれます。
そんなことよりも漠然と、守るべきもの、
貴重な台風の直撃を甘受したいものです。
そうすると、今日も以外に『良き思い出』に変わる気がします。

それから、帰宅後の全裸は、
ご愛嬌ですね。

復興にはくれぐれも、その見境を見極めて欲しいものです。

『生きろ!』

今月見る予定の映画
『監督失格』
http://k-shikkaku.com/