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チェルノブイリハート(英語)
 映画の方はこちら。(覚悟のない方にはお薦めしません。)
http://www.youtube.com/view_play_list?p=2BCA80A90201FA7C

 お読み頂いている方は、また原発か。。。
という気持ちもあるかもしれませんが、
原発どころか、震災の話自体なんだかもう騒がれなくなりましたね。
北海道の泊原発が事故後初めて『再稼働』が容認されたようです。
海外でもその『再稼働』の話は取り上げられましたが、
地域住民の方々は『町のため。。。』と。

というわけで、今日は気が滅入る話なので、
滅入りたくない方は映画も含めご遠慮下さい。(本当に)

放射線の影響は外部被爆よりも内部被爆の方が怖い。
という話は私以上に皆様ご存知の事と思いますが、
以前どこかの教授が非常にわかりやすい言い方をされていたので、
記載致します。

『体内に入った放射線物質は、それぞれの細胞にアタックをかける。』

ご存知の方からすると当たり前。
という話でしょうが個人的には納得&とてもリアル。
シューティングゲームのように、
攻撃機が各細胞に射撃してくるというわけですよね。
しかも、長期間かつ広範囲の細胞に。。。
とてもしつこく。。。

と、実際のところ科学的な因果関係の証明はされていないそうですが、
まあ、そこは各個人のご判断にお任せして。
単純に症状としては、成人でも癌、白血病、白内障、
不妊障害、生理不順、脱毛、老化そしてぶらぶら病と、
言われる症状がでる“恐れ”があるわけですね。

そりゃ、各細胞がアタックされ壊される訳ですから、
納得いく訳ですよね。

そして、アタックされて傷ついた状態の細胞の“記憶”は、
“傷ついた細胞”として、そのまま受け継がれる訳ですね。
結果、遺伝的影響が大きくなる訳ですから、
極力、細胞がアタックされる時間は減らした方が良い訳ですね。

と、そういう話はそれぐらいにしておいて、
要は“これからの覚悟”を決めておく必要があるということですね。
福島だけでなく、関東だけでなく、関西も九州もですね。

それこそ、放射線の影響というのは評価も違うし、
影響に関しても人それぞれですし、
明確な因果関係が証明されていない。
と、言われている訳です。

だから、信じるも信じないもあなた次第。
という訳ですが、ビジネスにおいて。
なんて、かっこつけたことに置き換えるまでもなく、
“リスク”に関して、一切無視するというのは、
個人的には考えられません。

10個の内1個だけわさびが大量に入ったお寿司があります。
と言われたら、私は少し躊躇します。
100回に一回当たりが出ます。
と言われたら、私は期待します。
アメリカで夜外出する時は路地に注意します。
南アフリカには恐らく一生行きません。

と、なんのことかわかりませんが、
回数=確率も、結果=事象も普通はリスクを考えるものです。
その上で初めて、
『よし、これは許容できる。』
と、考えるものだと思います。

だから、食べる必要が仮にないのなら食べませんし、
当たりというのは損がないわけだから挑戦しますし、
夜の町が魅力的なら飛び出しちゃいます。
が、南アフリカは大金でも頂かないと行かないかな。

チェルノブイリ事故の後、
作業員の方や女性が多く自殺をしたと言われいるそうです。
また、『チェルノブイリハート』に出て来る様に、
障害を持って産まれてくる子供たちや、
甲状腺がんの除去手術のため首に手術の後を残す少年少女。

因果関係は“明確”に実証されていないし、
10年後20年後に症状が現れないかもしれない。
数%から高くても20%程度の確率であれば、
問題ないかもしれない。

100人に1人、もしかしたら1000人に1人。
もっともっと2000人、3000人かもしれない。

決して特別な“私”は放射線の被害を受けない。

今も毎時10億ベクレルの放射能が毎時溢れ続けている。
放射線被害の状況は報告されず、牛に続き豚で、
被害は食い止められたのでしょうか?
鳥は魚は海藻は?
土壌肥料は?薪は?加工品は?

疑い始めればきりがない。
それらはもしかしたらただの過剰反応にすぎないかもしれない。
でも、なにも解明されていない。
何も起こらないかもしれないし、
大量の被爆の“結果”が現れるかもしれない。
誰も何もわからない。

ただ、すでに差別は生まれている。
記載する事に躊躇はあるが、
福島出身というのが差別理由になる理由は、
無知な人々が差別する様な
ありえない被爆を恐れてやありえない感染を恐れての差別ではなく、
現実的な恐怖への差別となるのだろう。

今日はなにも言えません。
気分を滅入らして申し訳ありません。
ただ、覚悟をしておかなければいけないと思います。

出来れば何事も起こらなければ良いですけどね。
『チェルノブイリハート』見ておいた方が良いと思います。
わたしのどこがすき?
 『美人は3日で飽きるがブスは3日でなれる。』
ただ現実はそんなに甘くない。

今日は東寺クスに行ってきました。
広大な敷地と仏像、京都駅から臨む五重塔は、
京都タワーよりも京都っぽいものです。

半開きの携帯を持った方々には“京都”っぽさ満載で、
絶好の世界遺産、国宝、重要文化財、
真言宗総本山というのはあまり興味の対象ではなく、
むしろ『空海』なんてワードの方が重要な“被写体”は、
胸躍るものがありそうです。

と、そんな東寺の講堂に入ってみると、
選抜仏像は東京に遠征中とのことで若干残念。
ということも実際はそんなになく、
そんなことよりも狭い講堂、
狭い金堂に圧迫感いっぱいに存在する像を見て、
『これって何用?』
なんて、不謹慎なことを思ってみたりするわけです。

どう考えても仏像のスケール感覚からいくと、
講堂は狭いでしょ。個人的肌感覚でいくと配役にもよりますが、
せいぜい6畳一間or集団生活というのは冗談として、
参拝者からしても“見上げるもの”というのは考慮するとして、
見学スペース狭くない?

いやいや見学用じゃないですよ。。。
というのなら、巡礼用?or『モナリザ』のような通過用?
なんて思う訳です。

と、まあそんな話は置いておいて、
そんなスペースも『仏像』という『権威』に
圧倒的な圧迫感を与える為だと言ってしまえば納得いきます。

近すぎる距離と高い位置は、崇める姿勢を作り、
参拝者の為に作られていない作りは、恐縮感を産み、
全貌が把握出来ない照度と距離は、魅惑の香りを漂わす。

そんな抽象的な仏像や五重塔や講堂などのビッグスケールのものよりも、
個人的には欄間や襖引手のような“被写体”にされにくい、
ミニマムスケールの方が好みだったりする訳です。

なんとなく、冒頭の言葉というのにも当てはまりそうな気がする訳です。
見た目の次は興味でしょ。ってね。

そんなこんなで『骨から見る生物の進化』
http://www.oi-bijutsukan.com/item-0802055.html
こんな本にときめいちゃいます。

信仰や盲目性というのは、恋の様にときめきは産みます。
しかしながら、飽きたときに何かは残るのでしょうか。
言葉や情報に踊らされるよりも、『不謹慎』とか言われても、
自分なりの興味を持つ事が必要ですよね。

『生きろ!』

欲しいなと思った本
『醜の歴史』
http://booklog.kinokuniya.co.jp/kato/archives/2011/02/post_247.html
欲しいと思っただけなので買いません。

歴史は盲目
 別れ話を切り出された瞬間何がいけなかったのかと、
焦り始める。でも、大抵は手遅れのようだ。

『思い立ったが吉日』
なるほど、日本人は成長していない。
いやいや、私が成長していないということですよね。

と、曼殊院に行ってきました。
といいながらそんな話はどうでも良くて、
“恋”や“夢”と同様、"歴史”というものにまで
実は『盲目』であったことに気づきました。。。

日本の歴史は様々な“美”を産み、
美術館に並ぶ『歴史の品々』は仰ぎ見る対象として、
決して手の届かない崇高なもののようです。
しかしながら、過去の『偉人』達の残した
"素晴らしきもの”家康の書状、秀吉の書状、
狩野永徳の襖絵、谷崎潤一郎の寄贈した鐘。

狩野永徳の襖絵は残念ながら距離が遠く風化も激しいですが、
家康?秀吉?潤一郎?
現代に残っているという“ありがたみ”
歴史が残っているという“ありがたみ”
過去には贅沢品だったという"ありがたみ”

色んな"ありがたみ”がありますが、
なんとなく、書で言えば柿沼康二氏の書の方がタイプだし、
画で言えば東山魁夷の方がタイプだし、
陶器で言えば波佐見焼の方がタイプな訳です。

勿論、色んな“ありがたみ”もタイプです。
ただなんとなく、『基準』というものの位置を変えると、
大きく見え方は変わると言いながら、
過去(歴史)というものの『権威』は、
『触れてはいけない掟』の様に奉っていた様に思いました。

過去に帰る事は出来ないが、過去を越える事は出来る。
だから過去を知るという事はそれだけでも意味がある。
なんて、たまには“歴史”に盲目になってみました。


『生きろ!』


という訳で今月見る映画
『エッセンシャルキリング』
http://www.eiganokuni.com/EK/
映画は映画館ですよね。

でも『イグジット スルー ザ ギフトショップ』は、
DVDでも良い気がする。。。
でも、『(映画館で)やってるうちに観とかないとね。』
自分一人様に映画館で再上映できるほど売れっ子じゃないから。
止まっている暇はなくなったようだ
 精神のバイオリズムは情緒不安定。
だからリズムどころか不協和音。
だから、生きる意味なんてものが欲しくなるものです。

先日、暴動が起こらない理由について、
“次回”と記載致しましたが、
『買いたいときが、買い替え時〜。』
と、すでに書く機会はなくりました。
というご報告です。

要はあまりにも問題が多すぎて、
かつ、責任の所在が曖昧だから、
ターゲットも見つからず、
『そっちよりもこっちでしょ。』とか
『狙いどころが。。。』なんてことも要因のひとつかな。
というところでした。

気分だけでなく、私たちのある環境は
加速度を帯びて進んでいるようです。
こんな時こそ“直感”ですかね。

『インスピレーションは80%正しい』
それを信じましょう!


今月見る予定の映画
イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ
http://www.uplink.co.jp/exitthrough/

江戸時代大衆は、
悪政に対しても、高度なセンスを持って『風刺画』を楽しんだと言います。
藤原正彦氏曰く、『日本の美意識』があるのかないのかが
問われるところですね。


生きろ!

ついつい忘れがち。
だったらいいな。書類選考編
 口にする言語量は脳の活性化に影響する。
と、一般的におしゃべりな人は、
なんらかの技能が高いと推測してみる。

たまには、余談です。
人事部の方や、経営者の方に『人の選び方』を聞くと、
『実際のところ体験しないことにはわからない。』
履歴ではわからない。というやつですね。
と、そんな様に仰られる事が多々あります。

ここ最近は東大の秋入試が話題になりましたが、
人の評価基準というのは、やっぱりなかなかに難しいものです。
直感や雰囲気、運命なんてことを言われる事もありますが、
十人十色、本当に人を見抜くなんて事出来るのでしょうか。

ということで、たまには息抜きにこんな提案。

書類選考方法『他薦』なんていうのはいかがでしょうか?
勿論、紹介状やコネなんてのは昔からありますね。
それもそれで良いのですが、
条件として、手書き、紹介者写真、出会いの経緯。
なんていうのを必須条件としてあとは自由筆記。
というのは、いかがでしょうか?

権威者の紹介であれば、
『こいつは権威に弱いのか。。。』
紹介コメントがありきたりであれば、
『生活環境がわかる。。。』
手書きであれば、
『センスがわかる。。。』

なんて、ある程度のデータを蓄積してみると、
意外におもしろい人材が見つかる様な気もするんですが。
どなたか試してみませんか?

といっても兵隊募集には向かないでしょうけどね。

最後に『がんばろう神戸』ならぬ、
個人的には『生きろ!(日本人)』(アシタカ風に)を、
復興まで掲げてみます。

『生きろ!』
みなさん『サバイブ』です。
もう有名ですよね。

 児玉龍彦 20110727_衆議院_厚生労働委員会_質疑
 http://www.youtube.com/watch?v=LunV27H3oW8

3月11日を境に“信用”というものが大きく変わりました。
先日は『性善説』から『性悪説』と述べましたが、
疑う事を知る事、圧倒的な危機感を持つ事というのが、
これからを生きる条件となった事は良い事なのかもしれませんね。

言い方は様々です。
自分で責任を持つ。
だまされるやつが悪い。

明日死ぬかもしれない。

だから、今日を後悔なく楽しむ。

明日死ぬかもしれない。

でも、死なないかもしれない。
だから少し様子を見よう。

原発にせよ、復興にせよ、経済にせよ、
政治にせよ何が起こっているか
"正確”に知っている人は誰もいない。
だから様々な憶測が生まれ、利害が生じ、
判断がぶれ、事態が定まらない。

わからない状況というのは"不安”を作り、
頼れる誰かを作り出す。
それが今までは、権威であり、地位であり、
有名無名であり、偏差値であり、履歴であったわけですが、
それらが刻々と崩壊していく。

それはルールが崩壊するという“混沌”ではある訳ですが、
違う見方をすると、『実力勝負』の世の中になったということですね。

不条理な『現実』に嘆いていた皆さん。
これからが『勝負』です。

『権威なんて糞食らえ!』との考えが、
期せずして叶ってしまった今日この頃。
平時であればこれほどまで興味深い事はないが、
今はちと厳しいですね。

とにもかくにも皆さん。
『サバイブです。』
(まずは生き抜くこと。)

と、今年の抱負を今頃思いつく。

最初の動画はもう有名すぎると思いますが、
かつての権威『東大教授』のお話。
同じ東大でも『ひとそれぞれ』。

大事なのは『レッテル(権威)』を張らない事ですね。
それがサバイブの掟。