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逆鎖国
ODAで復興支援、11年度 被災地水産品など提供
http://www.47news.jp/CN/201106/CN2011062601000514.html

って、本当にまずくないでしょうか?
百歩譲って、放射線の影響がまったくなかったとしても、
素直に受け入れてもらえるでしょうか?

例え嘘でも、放射線が検出されました。。。
と言われれば、犯罪国家確定です。

汚染水海洋投棄、国際賠償500兆円。
提訴されるまでに条約に参加すれば
セーフかもしれないようですが、
検討中でいいのでしょうか。。。
国民が持っていると言われている幻のお金は、
1300兆円ではなかったでしょうか。
今すでに1000兆円借金してて、プラス500兆円、
随時加速度的に更新。
ギリシャですね。
ギリシャ。最近騒がれてますね。
実情はどうなんでしょうかね。

IAEA:原発事故、国際賠償体制 構築を宣言へ
http://mainichi.jp/select/world/news/20110615dde001030012000c.html

政治家を選んだ私たちの責任であり、
声を上げない私たちの責任ではありますが、
もう私たちは、内需に頼り、全国民が貧乏になるか、
海外に飛ぶしかないようですね。。。

そろそろ農業の勉強でも始めますか。。。

それはそうと日本製品が、食品は仕方がないとして、
それ以外のものが受け入れられていないと言う実態は
どんなもんなんざんしょ。

教えて、伊藤忠さぁん。

でも、内需だけになるとすると、
結果的には労働賃金が下がり、
将来的には、技術力の勝負になるから、
韓国との戦いみたいになるのかな。

なんにしても、間接技術以外は勝負が出来ず、
それ以外は内需の中で、第一次産業にしかつくことが出来ず、
輸入販売もグローバル化してしまったから、
富裕層なんかには相手にされない。

あらあら戦後以上に戦後ですね。
西日本が生きているうちに、
国の信用を取り戻さないと。

そう言う訳でODAには反対はしませんが、
選ぶものが絶対におかしい。

と、愚痴ってみましたが、
テレビや新聞であまり騒がれていないと言うことは、
『安心』ということなんですかね。(笑)
日本はアーティストの宝庫
アーティストってなんでしょう?

デザイナーは『他』であり、
アーティストは『我』とそんな気がします。
他の欲を作るデザイナーと、
我の欲を作るアーティスト。

個人的にはアーティストが好きです。
そこには圧倒的な力があるように感じるからです。

かつて、多くのアーティストは、
寝食を捨て、常識を捨て、自らを捨て、
といっても各々に自覚はないと思いますが、
具現化できないことにもがき苦しみ、
敵わない事に挑み続けていたと思います。

それが良いことか悪いことなのかはわかりません。
しかしながら、彼らは『抗いきれない』不条理さに
挑戦し続けたのだと思います。

でも、思い返して見ると日本人で偉大なアーティストって、
誰もが思い浮かべられる人って岡本太郎ぐらいでしょうか。
そんなものしかいないのでしょうか?

未曾有の大災害も『抗いきれない』ものではないのでしょうか?
良いか悪いかは別にして、
アーティストを自称される方々の声が聞こえないというのは、
なんだかとても淋しく感じます。

ある意味、ソフトバンクの孫さんはアーティストのようにも見えます。

日本人の場合、芸術という表現よりも
技術や科学といった表現の方が得意なのかもしれませんね。

意味のわからない話ですいません。
でも、それはそれで素敵なことだと思います。
政治家という大人 映画『奇跡』を見て 
 意味わからん。
 なんで気にならへんの?

舞台の鹿児島で降り積もる灰に苛立ち、主人公がつぶやく。
是枝監督の映画『奇跡』を見てきました。

まるで今の原発を描いた作品ですか?
と、一瞬疑ってしまいましたが、
『当たり前の日常の美しさ』を描かれた
ほんの少し背中を押してくれるような映画でした。
そして、非被災者の私達が今見る映画だった気もします。

夢とか願いというような言葉は、
年齢を重ねるにつれ、
少しづつ他人行儀な言葉に変わっていくように思います。

いつまでそんなこといってんの?
現実を見なさいよ。
子供染みたこといわないの。

なんて、大人になるにしたがい様々な物を背負い、
それを言い訳に、夢というものは机上の空論のように
馬鹿にされるようになりました。

政治家たちは出来ない理由を吐く事を避け恥にまみれ、
出来ないよと吐いた人は政治家をやめさせられる。。。

まっ、政治家なんてどうでもいいです。
そんなように、
出来ない理由だけを争点にああだこうだっていうこと
よくありませんか?

夢はいつの間にか、
出来ない理由だけが語られるようになった気がします。
さてさて、それでは、これまであなたは
何のために夢を語っていたのでしょうか?

やめる為?諦める為?それともかっこをつける為?

映画の中に出てくる子供たちは、
夢を叶えるために『奇跡』を望み、
その『奇跡』を掴む為に足を踏み出しました。

現実はもちろん甘くありません。
子供のように馬鹿も言ってられません。
今日食わなきゃなりませんし、今日寝なきゃなりません。
それを考え続けなければならないのが『大人』です。
それは子供に比べて『大きな違い』でしょう。

でも、その責任を背負ったのは誰でしょうか?

出来ない理由ではなく、
やる方法だけを考えていた子供たちには、
もうなれないのでしょうか?

『責任』を背負うというのは、
『出来ない理由』を探すということなのでしょうか?

『責任』という言葉を言い訳に
私たちは『大人』になったのかもしれません。
ですが、それをただの重みに変えてしまったのは、
私たち大人だったのかもしれません。

こんなときだからこそ、
もう一度、出来る方法を語りませんか?
色々あります。本当のことってなんですか?どなたか教えて下さい。
昨今の訳のわからない様々なことについて考えてみました。
頭の整理体操です。
お暇な方はお付き合い下さい。

わからないものには反応しない。→わからない=価値がない。
わかりにくいものに興味を持つ。→ただ興味しか示さない。(不安だから)
わかりやすいものは馬鹿にする。→新たなる流行を追い求める。

ただ、新たなる流行というわかりにくいものと
わかりやすいものの境界には飛びつきやすい。
みんなは理解していないけれどある程度の人たちは理解している。

わかりやすいもの=大多数、常識
わかりにくいもの=小数、非常識

まだ、誰も(大多数)がわかりにくいもの(非常識)
である状態というのは不安。→ただ興味は示す。

誰も(大多数)がわかっているもの(常識)
というのは面白みがない。→馬鹿にする→次を探す。

今までは、わかりにくい、わかりやすいの境界が
ぶつかった時
に流行が生まれた。
このぶつかった時を演出するのが『マス』という信用だった。

それ(信用)が情報(メディア)の圧倒的な増大に伴い、
マスではなく小さいレベル(口コミなど)まで下がった。
結果、ニーズ(ぶつかる時)は曖昧になりわかりにくくなった。

しかしながら、それは消費者が成熟した。ということなのだろうか?

情報が多くなりすぎたことで大きく混乱した。
結果取捨選択することが出来なくなった人たちは、
より一層わかりやすいものを求め、
かつ、自分は理解できないが、
自分より上の人が理解しているわかりにくいものというのが、
尊きものだと勘違いした。

成熟したのではない。諦めた、諦めざる負えなかった。
ただ本質は変わっていないのではないだろうか。

結局、
わからないものには反応しない。
わかりにくいものに興味を持つ。
わかりやすいものは馬鹿にする。

大きく変わったのは、わかるわからないを判断するのが、
『私』ではなくなった。ということではないだろうか。

いやぁ。わかった風な言い方をして書いてみましたが
なかなかわかりにくいものですね。。。
私より上の方、どうかわかりやすく説明して下さい。

では、
お洒落に話を置き換えてみましょう。

みんなに認められていないファッション→わからないもの
一部の人だけがしてるファッション→わかりにくいもの
誰もがしているファッション→わかりやすいもの

こうすると少しわかりやすくなった気がする。

要は、様々な事が叫ばれていますが、
結局私たち庶民は、その『流行』は作れないから、
自分で考えるしかない。ということですね。

ちゃんちゃん。