日本の文化には『阿吽の呼吸』というものがあると言われます。
その言葉の意味はわざわざ記載するまでもなく、
皆さんご存知だと思いますので省きますが。。。
日本語は他の言語に比べ表現力が多彩だと言われます。
擬音表現や感情表現は多彩で、
思った言葉を英語に変換しようとすると
なかなかしっくりといかない。
ということに戸惑いを覚えたことがある方も多いかと思います。
勿論、国語として培われたボキャブラリーの問題で
実際のところ本当に少ないのかどうかはわかりませんが。
そんな日本人として生活しては来たものの、
実際のところ、会話をするときには家族であれ、
友人であれ、恋人であれあまりにも伝えたいことが
伝わらないというもどかしさを覚えたことがある方はとても多いと思います。
そんなつもりじゃなかったのに。。。
本当はちがうのに。。。
どうしてわかってくれないの。。。
なんて、感覚を覚えたことは数え切れません。
勿論、だからこそ、その誤解を避けるために言葉を尽くし、
時間を掛け、言葉だけではない様々な表現を通して、
少しでも100%に近づけたいと努力をするものですよね。
特に関係性が重要であればあるほど、
諦めきれないもどかしさを払拭しようと。なんて。
しかしながら世界というのは『平等』なもので、
その『我欲』とも言える『私の気持ちを100%理解してほしい』という
欲求を全て叶えるのは、相手の絶対的な了解というものがあってはじめて
成立するように思います。
かつて、今のように携帯電話もなく、
自宅に電話もなく、さらに電車、車、
という今では電子機械というものが一切なかったころ、
『言葉』は己を表すものとして絶対的な意味を持っていました。
決して届かぬ思いを残すことだけに綴られ、
国の命運を左右する行動をひとつの言葉に置き換えて、
叶えられなかった想いを言葉に託して。
と、大げさですが、それこそ『伝える』為に考えられうる力を、
決して乗り越えられない制限の中に尽くしてきたのだと思います。
と、前述のように『言語』だけの話になると、
結局私の表現力の問題もあり、
『メールがね。。。』
『携帯がね。。。』
『でも手紙なんて。。。』
と、なってしまうのが哀しい限りですが、
そうではなくというわけではありませんが、そうではなく。
今にして思えば『不便』な時代だったからこそ、
それらは仕方のないものであり、また回顧主義的に甘美なものに思え、
結果的に現在得ている恩恵というのは、
否定しがたいものですし、今更携帯を手放すというのは、
日本社会に存在する上ではある意味で『異端』と批判されかねないぐらい、
『当たり前』のものになっていると思います。
また、生命体として『進化する医療』を受けている時点で
そんなこということは出来ません。
と、ようやく本題に戻り、
そんな現代に生きている私達が行うべき『伝える』方法というのは、
どういった方法なのでしょうか?
かつて、『想い』は上記でも記載したように、
『制限』の中で尽くされてきました。
また、『受け手』もその制限を理解し言葉に残る
『かすかな想い』を見出したのだと思います。
書き手は制限された紙の上に、
この言葉で伝わるのだろうか、
この言葉は誤解されないだろうか、
この言葉で思い出してもらえるだろうかと思いを込めて、
一文字一文字に時間を掛けて、
紙の上に『自分』を残し、
受け手は、その漏れる想いを最大限考慮し、
時には己を慰める為に補填し、装飾し、
状況に合わせ、考えられうる『理解』をする為に
時間を掛けたのだと思います。
さてさて、というわけで最初に述べた『阿吽の呼吸』、
あなたはこれをどのように『理解』されますか?
勿論『言わなくてもわかる。』『心が通じ合っている』『以心伝心』
と、言いたい気持ちもわかりますし、
本当はそうなのかもしれません。
しかしながら、私は心が通じるまでの『訓練』は、
恐らく誰一人とも出来ていないと思います。
そんな言い方をすると『淋しい人ね。』なんて、
言われてしまいそうですが、
本当にあなたはそれほどまでに相手の気持ちを理解しておられますか?
以上の憶測から、個人的には日本の表現力が多彩な理由は、
『阿吽の呼吸』なんて逃げ道が一切介入できない、
『大切な人』への『制限』の結果だと思います。
勿論、気持ちを交わし続けた『訓練』の結果として
あくまで『両者の了解』の上での阿吽の呼吸、
以心伝心というものはあると思いますが、
逃げ口上に使う『阿吽の呼吸』とはまったくもって意味が違うように思います。
なんて、意味はどちらであってもどーでもいいですが、
こんな時代だからこそ、『日本人だから!』と誇大に叫ぶよりも、
『伝える』為の方法として、言葉を尽くしてみてはいかがでしょうか。
あなたの言葉は誰にも伝わっていませんよ。
いやぁ、長くなってしまいました。
まだまだ、私は阿形、吽形に遠く及ばず誰一人守れないのですね。。。
日本とまではいかないまでも、
代表と呼ばれる方々にはもう少し『訓練』をしてほしいと思うものです。
まぁ、そうはいっても『ショボッショボの人』ですからね。