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言葉の話 前書き1
 いやぁ、寒いですね。
皆様体調崩されておられませんか?
ほんと身も凍るようです。凍てつきます。
鳥肌が立ちますよ。

なんて、感じた事を表す言葉って色々ありますね。
日本人はその表現力の多さは世界でも最高峰だそうですね。

最近と言うことではなく、
ここ何年か急激に言葉が簡略化されていますね。
『ヤバイ』『カワイイ』『ストレス』『コミュニティ』
なんとなく、日本人の多くが同じように感じている気になり、
また、表現方法としても『楽』だから、
私自身もついつい使ってしまいます。

良いか悪いかで言うとそれこそ同一『コミュニティ』内では、
暗号のような言葉として、特別性もあり共鳴力もあるような気がして
むしろ、良いモノと感じることもありますが、
冷静に『コミュニティ』外から見てみると、わけわかりません。

『あいつ超やばくなぁい。』

さてさて、あなたはどの様にとられますか?
世代、性別、環境などなど立場によって答えは多分変わります。

良いか悪いかではなく、それこそT.P.O.さえ間違えなければ問題ないでしょう。
でも、そのT.P.O.。的確にわかりますか?

でもこれって、時代についていけない『大人』の、
『最近の若いもんは。。。』発言に近いのかも知れませんね。
暗い話 前書き3
 お付き合いありがとうございます。
と言う訳で、このカテゴリーの主旨を記載させて頂きます。
前回まで記載させて頂いた様に、
事象は凡その場合2つに分かれると思います。
そして、それを信じるのか、信じないのか。
良い行いと見なすのか、悪い行いと見なすのか。
そして、そこには『覚悟』がいるということですね。

『覚悟』ですから、選択した時点で、
当然、信じてよかったと安堵することもあり、
喜びを覚えることもあり、やっぱり『間違っていなかった。』
と、思うこともあり、同時に、
傷つくこともあり、犠牲を払うこともあり、
『間違っていた。。。』と思うこともあるわけです。

結局、どちらでも良いと思います。
というと、投げやりに思われてしまうと哀しいですが、
ただ、『自分で考えた答え』です。
そこには、他の人を言い訳にすることは出来ません。

まぁくどくどと、お話させて頂きましたが、
もうここらへんで批判されることの防御はもうやめて。

というわけで、このカテゴリーでは、
良い行い、悪い行いを基本的に、
逆の見解で綴らせて頂こうと思います。
そうすることで、『根本』はなんなのか、
まただからこそ、各々が『覚悟を決めて』それを信じるのか、
より、理解する為に、より『信じる』為に、
私が、心を鬼にして!というよりも、
好きだから。

池上彰さんが、なぜ『わかりやすい。』のか、
それは、氏が長年裏も表も制限なく全てを『受け入れた』からだと言われます。
だから、全てを受け入れて『天邪鬼』になりましょう。

なので、次回は『タイガーマスク』を糾弾しようと思います。
先に言い訳しておきますが、個人的には、
『素晴らしい。』と思っておりますので、傷つけないで下さいね。
暗い話 前書き2
 偉そうなことを言っちゃいますが、
出来ればそうは言わずに戯言と、
子供をあやす程度に聞いて頂けると助かります。

最も簡単なことはなんですか?

個人的に思うに最も簡単なこととは、右にならえだと思います。
良い話も悪い話も、事象により様々ですが、
その話に乗ることはとても簡単ですよね。

だって、発言者(仲間)がすでにいるわけですから。

昨今では、2大政党というやつも相まってか、
右か左かではないですが、選択の対象がほぼ二つに分かれています。
良い行いと悪い行い。
まぁ良いも悪いも、人それぞれ特別感というものがあるわけですから、
己が信念こそ正しいことだと思うし、
脳科学的というやつにおいても、
不安解消の手段として脳がそうなってしまうそうですね。
まぁ正直、私自身も人の事言えたところではありません。

『だって、ひとりは嫌だから。』

だから傷つかないように、阻害されないように、
『信用できるであろう』前の人(前例)を探すものなのでしょう。
『普通』、『一般』、『みんな』、『国民』、『仲間』。
でも、その『人々』はどれだけ信用できるのですか?

勿論、信用できることというのは素晴らしいことです。
人を信じられない結果、排他的になるよりも、
ある意味で『崇高』なことだと思います。

だからこそ、信じるには覚悟をもって信じて欲しい。
『信じたのは自分だ!』と、言い訳しない覚悟を持って。
暗い話 前書き1
 当たり前のことですが、
アダムとイブが生まれた頃から、
全ての事柄の意味は分解されました。

それぞれの視点、感情、環境、経験、体調、
どんな人であれ、モノであれ、
まったく同じものは存在しないということを前提として。
前提としない方は、多分読んで頂いたとしても
絶対に話が噛み合いませんので、
このカテゴリーは読まないで頂けると助かります。

以前も綴らせて頂きましたが、
信じるものは救われると言われます。
『信じるものは救われます。』し、
『信じないものは救われない』と、信じておられる方には、
救われない場面をフォーカスされることでしょう。

ただ、信じてもいいと思います。
また、信じなくてもいいと思います。

ただひとつだけ言える事は、下は向かないでください。

信じ続けることは、紙一重に裏切りがついて回ります。

信じないことには、裏切られることはありませんが救われることもありません。

結局どちらも同じことです。
信じるのは誰なのか、
信じないのは誰なのか、
そこには確実に責任がついて回ります。

その責任があることも知らないで、
良いことも悪いことも判断するのはやめにしましょう。

あなたの善意は良くもなり悪くもなります。
ただ、例え悪かったとしてもそれを受け入れさえすれば良いと思います。

だから、『死なない方がいい。』
映画『カラフル』しつこいですか(笑)
感動の話 前書き2
 前のお話だけでは受け取り方によっては、
なんて悲しい人なの。。。
と、感じられてしまうと少し哀しいので続きです。

前回『感動』とは、感じ動することだと記載致しましたが、
私自身もつい言葉として発してしまいがちですが、
出来れば感じることによって、次のステップに変わりたいと思うわけです。

ですので、感動した。と言葉で発することも、
動(どう)した。ことになりますが、まだ少ない。
動するからには、出来れば何か得たくはありませんか?

得ると言っても、具体的なものではなく、
より学ぶこと、より理解すること、より染み入ること。ですね。

とかく、SNSに始まりブログ、ツイッターと表現手段が増えました。
もちろんリアルタイムという利点はありますが、
綴ってその感じたことが、置かれるだけというのはもったいなくありませんか。
もちろん、コミニティ内で次の話が生まれるかもしれません。
それも素敵なことだと思います。

でも、もっともっと伝えることが出来れば良いと思いませんか?

例えば『ブルースリー』を見て、
『ワチャ、ワチャ。』とその時声だけ真似るのではなく、
全身タイツとヌンチャクを買いに走って、
ヌンチャクの腕をより磨く、全身タイツの完璧なフィット感を追及する。

馬鹿みたいなことですけど、
それだけで『ブルースリー』を見る前の自分とは明らかに変わる。
それって素敵なことではないですか?

そして、その話を聞いたとしたら、
ただ綴っただけの言葉よりも、
あなたもその相手も『口コミ』とは違うことを知れるのではないでしょうか。

また、その表現(動の仕方)があなたの個性となるのではないでしょうか。

ちゃんちゃん。
感動の話 前書き1
 感動したことありますか?
という問い掛けを投げかけると、
皆様はどのような答えを伝えますか?

嬉しかったことですか?
楽しかったことですか?
涙したことですか?

『感動』という言葉を辞書で引くと、
深く心に残ること。と書かれています。※部分抽出

言葉のまま分解すると、
感じ動(どう)することのように個人的には感じます。
少しわかりにくいですが、
感じ動いてしまうこと。感じ反応(アクション)が起こる。
ことだと思います。

動じるということ。反応してしまうこと。の様に思います。

それは、例えば映画を見て、とめどなく涙が溢れたり、
襲い来る恐怖に、身震いしてしまったり、
恋する相手に胸が高鳴ったり(キュンってやつですね。)
と、理性と言いますか、考えと言いますか、
それでは表しようのないこと、ある意味で理解が出来ない、
勝手に起こる反応の様に思います。

だから、こそ心に突き刺さり、
場合によっては傷つき、場合によっては苦しむ。
いつの間にか感動=良かったと感じた記憶。
になっているように思いますが、
個人的には感動とは、そのようなことだと思います。

立ち上がれ風俗党
 かつて大人になる儀式のひとつとして、
男の子はお姉さまに抱かれに行きました。

今では風俗=マイナス的なイメージを持たれる事が多いですが、
少なくとも過去では、日本以外の国でも肯定されていたように思います。

と、風俗推奨を謳っている訳ではないので、
誤解しないで頂きたいのですが、
そこには教える側と、教えてもらう側の諒解があったように思います。
時には息子の父から頼まれ、
友人から頼まれ、母から?はわかりませんが、
大人の階段のひとつとして、
男児は促されながらも自分の意思で歩みだしました。

遊女というと言葉が違うのかもしれませんが、
女はその気持ちに答え、
その男児を一人前の男にすることを自らの役目とし、
プライドを持ちました。

さて、昨今ではこのようなやりとりというのは成り立つのでしょうか?
クーポンビジネス、牛丼チェーン戦争、
ファストファッションブームの中で、儲け度外視、
お客様に喜んで頂ければ。。。

どちらにもそれぞれの言い分があります。
それは簡単に意見を言えるような問題ではないように思います。

ただ、私は哀しくもあります。
買う側はあくまでも私はお客様なのだと、
売る側は買ってさえくれればいいのよと、
低価格化と一緒に私たち日本人は、
確実に自分たちの『プライド』を知らず知らず消耗しているように思います。

漫画論3
 長々と恐縮です。今回で一時終わりです。

というわけで、リアリティの話をしましたが、もうひとつ。
漫画はそれこそわかりやすく痛快です。
そして、何よりもカッコいいです。

このカッコよさというのが厄介です。
感情移入できるのか。という話をしましたが、
感情移入できるから感動し、はまるわけですね。

ワンピースで言えば、それぞれの登場人物がプライドを保持し、
そのプライドの為に戦う。
まるで読んでる自分も物語の中で、戦いプライドを保持する。

そして、安堵する。

憧れの存在であったり、自分のまだ見ぬ未来の像であったり、
具体的な像が結べないイメージだけの存在であれば、
ある意味で自己と同一視することは少ないと思いますが、
イメージが映像、特に漫画というどちらかというとシンプルなものであると、
わかりやすさから自分と結びつきやすくなりますよね。

その登場人物がある意味で自分を代弁する。
その爽快感は、何事もやり遂げていない自分の代わりに、
強く、勇ましく、優しい。まるで自分のように。。。

そんな環境で育った世代はそれこそ万能であると思い、
また、特別だと感じる。

なんとなく、勝手に草食系。っていうのが、
勝手にわかった気がする今日この頃です。

池波正太郎を読みなさい。
そして、男のかっこ良さを知りましょう。
なんて、勝手な言い分お許し下さい。

ワンピース大好きですよ。
漫画論2
 というわけで続きです。
個人的な感想ですが、尾田さんの好きな時代活劇、
任侠モノとワンピースには決定的に違いが有ると思います。

それはリアリティ。というと誤解を招きますが、
わかりやすく言えば登場人物設定だと思います。
これはどうしようもないことであり、
ターゲットの問題なので良い悪いではありませんので、
くれぐれも気分を害されないで頂きたいのですが。。。

時代活劇、任侠モノ 20代後半〜
漫画(少年漫画)   10代
もちろん最近では青年誌も多く、深度の深い漫画も多くあります。
ただワンピースは少年誌です。

若かりし頃というより子供の頃、
多くの方が主人公である『お兄さん、お姉さん』に憧れ、
また影響を受けたのは良い面も多くあったのでしょう。
しかしながら、少年期を終えた青年たちが、
自分よりも場合によっては年下である登場人物たちに
どこまで感情移入できるのでしょうか。

勿論、感動的な話もあり危うく涙しそうになることも多々あります。
しかしながらそれは自己の過去との照らし合わせではないでしょうか。
『こんなこともあった。あんなこともあった。』というのは
悪いことではないですが、リアルな世知辛い現実を生きる上で、
10代を卒業した人たちが、『こうであろう。こうなりたい。』という
展望を抱くことはあるのでしょうか。

ただ、現実は確かに世知辛いです。
だからほんの束の間逃避し、
場合によってはワンダーな世界に入る事も大事なことです。

と、また長くなってしまいましたので、続きは次回。
漫画論1
 日本の文化は漫画とアニメーションだ。
なんてことが叫ばれ始めて早10年。
私自身漫画もアニメも好きですし、
様々な物を学んだ気もします。

どれぐらいの年代からが『大人』といわれるのかはわかりませんが、
大人の方々はよく漫画なんて読んでないで、活字を読みなさい。
なんてことを仰られますね。

個人的に漫画の良いところと言いますと、
こまわりいわゆるカット割の芸術性と、
作者の表現を具体化する表現力だと思います。

逆に活字(ここでは小説)の良いところと言いますと、
読者に想像を喚起させることと、
言葉の組み合わせのみで、物事を表現することだと思います。

どちらも見る角度によって良いところがあり、
また悪いことがあるわけですね。

最近では年齢問わず『ワンピース』が大人気ですね。
海賊という言葉と、大航海というものには少なからず胸躍らされるものがあります。
ポッドキャストのジブリ鈴木さんと作者尾田さんの対談で、
鈴木さんがワンピースを評して『時代活劇』だと仰っておられ、
そのコメントに尾田さんが意図を察知され喜んでおられました。

尾田さんは時代活劇や任侠モノがとても好きで、
まさしく描かれているアクションはそんなシーンが目白押しですね。
そんなわかりやすくも痛快なストーリーに、
私も含め多くの読者の方は魅了されているのだと思います。

しかしながら、批判を承知で言わせてもらえれば。
というわけでまた次回。