<< November 2010 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

チキンライス
たまたまラジオで流れてましたのでちょちょいと。 

子供の頃たまに家族で外食
いつも頼んでいたのはチキンライス
豪華なもの頼めば二度とつれてきては
もらえないような気がして

親に気を使っていたあんな気持ち
今の子供に理解できるかな?

(サビ)
今日はクリスマス
街はにぎやかお祭り騒ぎ
七面鳥はやっぱり照れる
俺はまだまだチキンライスでいいや

貧乏って何?って考える
へこんだとこへこんだ分だけ笑いで
満たすしかなかったあの頃

昔話を語りだすと決まって
貧乏自慢ですかという顔するやつ
でもあれだけ貧乏だったんだ
せめて自慢ぐらいさせてくれ!

最後は笑いに変えるから
今の子供に嫌がられるかな?

(サビ)

今ならなんだって注文できる
親の顔色を気にしてチキンライス
頼むことなんて今はしなくてもいい
好きなものなんでもたのめるさ

酸っぱい湯気が立ちこめる向こう
見えた笑顔が今も忘れられない

今日はクリスマス
街はにぎやかお祭り騒ぎ
でかいケーキもってこい
でもまぁ 全部食べきれるサイズのな

赤坂プリンスをおさえとけ
スイートとまでは言わないが
七面鳥もってこい これが七面鳥か
思ってたよりだかいな

やっぱり俺はチキンライスがいいや

当たり前のことが日に日に磨耗されるのか、
単純に必要ではなくなったのかはわかりませんが、
今になってみると過去の思い出は微笑ましくもありますね。
秋葉原アトレ
 最近もっぱら水滸伝にはまり中ですが、
志の下、死に行く同胞たちを主人公たちは哀しむ事ではなく、
忘れないことで心の中で生かし続ける。
と、激変の時代を生きる術としていたように感じます。

秋葉原にアトレが出来るってさ。
何でも女性をターゲットにした作りだとか。
なんて、アトレが珍しいわけでも、
女性ターゲットが珍しいわけでも全くもってないわけですが、
秋葉原が嫌いな私にとっては少し興味のあることなので。

東京に初めて出てきた時は、なんと言っても秋葉原は見ておかないと、
との田舎モノで、コアな街を訪れた記憶は今も鮮明です。
立ち並ぶ雑居ビルには、様々な刺激物が山積し(使用済み〇〇とかね)、
独特の匂いを醸し出し、申し訳ないですが吟味する人々に
それこそ『恐怖』を覚え、滞在1時間足らずで気持ちが悪くなり、
逃げ出すように電車に飛び乗ったのを覚えております。

今となっては『オタクの聖地』も様々な表情を生み出し、
かつての人種層とはだいぶ変わってまいりました。
最先端とまではいきませんが、『いい感じの街秋葉原』になりつつあるのでしょうか。

かつて、駅には意味がありました。
それぞれの駅にそれぞれの個性があり、
あの街には〇〇がいる。あの街は危険だ。。。なんてだけでなく、
風景があり、それぞれの人がいたように思います。

今も決して好きな街ではないですが、
私を魅了して止まなかった街が、徐々に力を失くしていくのは、
なんだか寂しい気もします。

嫌いなやつだから学べることがある。
怖いものだから学ぶことをもつ。

資本競争、新品至上主義の中で、
独特の『個性』を持った街がまたひとつ
良くも悪くも弱体化していくように思います。
悪いわけではないですよ。
ただ少し寂しいのです。
ゾーン
 子供の頃『鳥になりたい。』と思ったことがある方は多いと思います。
というより、そうあって欲しいと思います。

先日、アメリカンドッグの話を記載致しましたが、
登場した彼らは私に劇的な感動を与えてくれました。
アメリカンドッグと引き換えに。。。
という話をしていなかったので。。。

瞬間的に何が起こったのかもわからないスピード、
取り方、逃げ方、交わし方、未知のゾーンがそこにはあったわけです。
(基本的に全て肯定系でお話します。)

取り方においては、コーヒーに視線が離れ、
アメリカンドッグがやや前方傾く、
そこを恐らく彼は投手の投げるボールのように、
上空から地面すれすれぐらいの高さまで下降し、
一瞬羽根を広げ、気流を起こし、ホップすることで、肉体も収縮させ、
やや上向きの流れに乗って、右手に違和感を与えないように掬い取った訳です。

そして、彼も命がけです。(捕まる訳にはいかない。)
気づかれてはいけない状況下で、私の肉体に触れては絶対にいけない訳です。
なので極限まで収縮するのです。

気づかれず、かつ獲物を絶対に奪わなければいけない。
人間と言うものは髪の毛に触れられてもわかるぐらい触角は発達しています。
時には身を守るため鈍化することもある訳ですが。
そんなこと彼らはきっとわかっています。

そんな人間を相手に、究極の可能性。
恐らく一か八かではないでしょう。
『今ならいける。キラーン』みたいなコンマ〇〇秒っていうのを捉えたのでしょう。
かつ反応できるのでしょう。

私たちとは時間の流れが明らかに違う。
寿命も関係するのでしょうか。

これって凄くないですか。
選択
 私の持論は『バイクに本気で乗っているやつは身体能力が良い。』ということです。
以前シリョク検査というタイトルで少し記載しましたが、バイクは命がけです。
なんて突拍子もないお話。

私が最も尊敬する職業というか生き方は、
『プロアスリート』の方々です。
皆様それぞれ一家言あることとは思いますが、
私の戯言を聞いて頂けると幸いです。

なぜ『プロアスリート』の方たちを尊敬しているかと言うと、
それこそ『命がけ』だからです。
肉体の衰退と言う意味で生涯続けることは難しく、
競争原理の中で、ある種『トップ』であることを求められる。(ある種ね。)
金銭的な生活面での命をかけ。
肉体的な行動面での命をかけ。
それこそ生死をかける訳ですよね。

己の身ひとつを資本とし、競争原理の中で常に選択を迫られ続ける。
先手、後手の状況下で、可能性を追求し続ける。
それこそ『ハンパねー。』と思います。

と、アスリートの話はとりあえず置いておいて、
ある意味で『バイクも命がけ。』な訳です。(モチベーションの問題ですよ。)
そんな運転の状況下では、
この幅は通り抜けることが出来るのだろうか?
あいつは飛び出してはこないだろうか?
突如上から何か落ちてこないだろうか?
なんて、勝手な妄想と戦いながら、
行くか行かぬかの選択を続けるわけです。

そんな鋭敏な神経の中での選択は、
とてつもないスピードだと思っております。
それを乗り越えることを行っているということで、
『本気で乗っているやつは身体能力に長けている。』と思います。

※最適な選択やそれに瞬時に対応できると言うのは、
 身体能力に影響があると考えている上での勝手なお話です。
〇〇だ!!!!!!!!

 11月に入り、少しずつ外に出るのが億劫になる今日この頃です。
見納めと言うわけではないですが、
数ヶ月ぶりに片道2時間かけて湘南まで海を見に行きました。

海の何が良いかと言う話をすると思い入れがとても強く、
話が延々と続いてしまうので、
今日は単純に劇的体験のご報告です。

2時間のツーリングの後はお決まりの缶コーヒーと、
アメリカンドッグを手に、一人むなしく波打ち際に降りるのは、
周りの方々の厳しい視線が痛々しいので、
今回は防波堤に腰かけです。

缶コーヒーと煙草を持って気分は『coffee and cigarettes
決して誰も見てはいないのに、ちょっと背筋は伸ばしてみるわけです。
そして一息ついてアメリカンドックに手をかける訳です。
カリカリ感がたまらない訳です。

一口噛んでカリフワ感を愉しみながら、
コーヒーに手を伸ばした瞬間!!!!

『えっ!?』

漫画のように右手には点線で描かれたような空白。
『落としちゃった。』かと下を覗くも見当たらない。。。
ちょっと冷静になってみる。

『〇〇だ!!!!!!!!』

ピューヒョロロロロ。

すいません。たまにはただの日記でした。

人間臭さ
 今更ながら映画『カーズ』を見ました。
ここのところアニメにはまりっぱなしです。

漫画『プルートゥ』浦澤直樹著の中で、
浦澤さんの台詞なのか、手塚治虫氏の台詞なのかは別にして、
『ロボットの動きには無駄がないんだよ。』
と、ロボットと人間の違いが説明されるところがあります。

早朝から地ならしをする幼少の頃から変わらないクレーン車は、
ガタゴト、ガタゴトと不細工に動き、壊れんじゃないの?
というような印象を抱かせます。
ぎこちない動きが滑稽でもあり、
また人間との差を踏まえた上でかわいらしく感じたりもするものです。

またまた話は変わり、
スタジオジブリでは、入社最初のアニメーターには『歩き方』から描かせるそうです。
映画『崖の上のポニョ』の製作で、ポニョが宗介に抱きつくシーンの、
細かい描写にこだわる場面をご存知の方も多いと思います。
アニメーションと言う表現手法、漫画と言う表現手法、
ロボットと言う表現手法、どれもスマートに描きがちの物ですが、
その差異に魂が宿っているような気がします。

私たち人間は、他の動植物と違い?
ある種生きるためのプログラム(運命)が行動面においては自由です。
欲望の思うまま行動してみたり、
発作的に行動してみたりなどなど。

良くも悪くも、そんなところが人間臭くもあり、特徴でもあるわけですね。
私たち人類はある意味において自由であり、
かつその中において自分たちで制限を作り続けています。
もちろん制限は時に必要ではありますが、
しかしながら、その制限の中に置いても、
昨今騒がれだしたグローバリズムってやつの中に置いても
『人間くささ』と言う名の『愛』を失いたくないものです。

なんて、支離滅裂なお話。