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iPadというデザイン
 というわけで、人ごみを掻き分けて、
触れてきましたiPad。
ひねくれものの私としては否定する気満々でしたが、
さすがはアップル、見事です。
なかなかのサイズ感だと個人的に思います。
思っているより小ぶりです。

新たな発想が生まれるとそれに付随して、
スタンダードは徐々に変化すると思います。
ソファがリビングに必要になれば、
リビングのサイズ感は、居間よりも大きくなりますし、
ベッドが登場すれば、単身世帯は質量が目減りし、
複数世帯は、おおよそ大きくなると思います。

きっと、『風が吹けば桶屋が儲かる』ではないですが、
少なからず、鞄などのサイズ感は自ずと今後縮小傾向を
たどりそうな気がします。

しかしながら、私たち日本人としてのライフスタイルの変化には、
もう少し時間がかかるように思います。
当然、他社からもう少しコンパクトで軽量、かつ壊れない!
が、登場するんでしょうから。

デザイン(質量、肌触り、持ち方含む)が成り立つのは、
まずは椅子プラス手掛けもしくはテーブル必須。
(片手での使用はちょっとめげる。)
寝転びながらの読書にするには角度がきつい(硬いですからね)。
と言うところから見ても、書籍としての個人的使用には向かない気がします。

しかしながら、オフィスワーク、インターネットハードユーザー、
発展的な会議(旧体制の書類どうこうの会議とは別の)への
使用にはグッジョブです。

まっ、私個人はいらないですが、
ある種日本のお家芸、日本独自のヒューマンスケール。
きっとそれは日本人しかわからないし、
日本人しか使えない気がしますね。
がんばれ日本。

ipadというヒューマンスケール
JUGEMテーマ:日本の文化
 早朝からご苦労様です。
朝のニュースは待ちわびました!
3Dテレビってわけではなくipadですね。
持ち運べるバーチャルの4次元ポケットは様々な未来を
切り開いてくれるらしいですよ。

『ウサギ小屋』という表現(昔ですね。)で、
表現されていた私たちの生活スケール。
いわゆる『コンパクト』というのは、
先達の祖先たちが考え抜いた、
資源の最大活用法だと個人的には思っております。

折りたたみと言う知恵は、
『ミウラ折り』のように、もはや世界の知恵として利用され、
宇宙にまで進出しました。

コンパクトに収めるという考え方を、
私たち日本人は徹底的に突き詰めてきました。
電車の席幅も指定し、
カフェのテーブルの基準サイズなども設定します。

そんな私たち日本人のサイズ感、
ちょっと身体の大きめな私にとっては、
バスもカフェも電車でさえも窮屈です。

そんなお国柄の私たち。
アメリカで生まれた4次元ポケットは
ドラえもんのおなかに収まるのでしょうか。

明日は銀座です。ちょこっと覗きに行ってきます。

スタンプラリーグルメ
 ここ最近と言うわけではありませんが、
ラーメン屋さんが新しく出来ると、店構えにもよりますが、
数ヶ月は人の波が続いているように思います。

街のいたるところに、〇〇で紹介されました。
というプリントされた張り紙が目に付き、
「張っていないところはどういうことなの?」なんて気持ちにも少しなります。

TVで紹介されると長蛇の列となり、
店は大繁盛、昔からの常連さんは知らず知らずに無碍にされ、
食べつくされた『儲け』は、
もういらないと、アリさんたちは次の番組に移ります。

「あの店はおいしかったよぉ。」という発言に、
「どこそこはだめだったよ。」と答え、
頭の中に作ったスタンプマップにペタンペタン。
「次のお店はどこにしようかなぁ。」なんて、
日々更新されるマップをコンプリート。

味覚も千差万別ですので、
私がどうこう言えることではないですが、
そんな風潮に流されて、
『おいしいお店』がお店として判断されないのは、
なんだかとても悲しいですね。

私にとっての『お店』とは、
店主さんがいて、おもてなしがあって、場があって、
発見と成長があることだと思います。

人間1人を理解することも出来ない私たちが、
何万件もあるお店を『理解』するなんて、
きっとできっこないと私は思います。
空気は読まない
 「KY」という言葉が流行り、空気を読むことが美徳のように語られ、
空気を読めないことを恐れるために、
いわゆる協調性を持っていますというアピールとして、
発言を、周囲の動向に合わす若者が増えているようです。

その結果。パワーがないとか、
主体性がないとか言われるようになり、
今度のキーワードは「空気を読むな。」と、
社会的主張がまた一転したように感じますね。

独断的に主張をすれば「宇宙人」だと言われ、
独断性がなければ「馬鹿」だと罵られます。

空気を読むとか読まないとかは別にして、
いつの間にか私たち日本人には『プライド』というものが
欠如してしまったのかもしれませんね。
そもそもあったのかなかったのかは別にしてですが。。。

「発言しないと言うことは賛同したことと同意である。」と、
言うような意見は少し暴力的な気もしますが、
グローバル社会というスピード感が重要な社会環境では、
グレーゾーンという美徳を主張するための、
圧倒的な知識が必要なのかもしれませんね。

と、難しそうに書き下しましたが、
『グレーゾーン』とは、最も良い方法を考え続けることであると、
私個人は思っております。

空気どうこう言う前に、『責任』を持とうとすることが、
何よりも重要なように思いますね。

潔い大人っていうのは、どういった人なのでしょうか。
10km圏内殺処分
 『蟹と修造理論』なるものを
『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』の中で、
聞いていると、ある種大笑いの気持ちを抱かなくもありませんが、
身近な出来事として、起こった『口蹄疫』という感染症に、
置き換えるととても複雑な心境になります。

視点の位置によって、
問題は大きくなったり、或いはまったくの無意味であったりと、
私たち人間が判断する問題と言うものは、
いったい何なのだろうなんて思いますね。

私たち『人』が飲む牛乳も見方によっては、
とても残酷な出来事の結果から生まれています。

乳牛の一生というものをご存知の方はおられますか?

母乳はなぜでるのでしょうか?

母乳とは、親(母)が子に栄養を分け与える食事として、
生物的に生み出すものです。
その母乳は延々と出るわけではなく、
妊娠期間中と、出産後、子に与える限られた期間のみです。

つまり、乳牛とは妊娠している牛ということです。
その牛は、出産後どのようになるのでしょうか。

答えは簡単です。

牛乳を造る為に、また、妊娠させられます。

一日一食と言う生活を始めると、
空腹感が大きいからこそ、
1食の食事について、それなりに真剣に考えるようになりました。

私たちはあくまでも自分たちが『生きる』為に食します。

「いただきます。」とせめてもの感謝をすることが、
少なからず、自分が生きている理由にもなる気がします。
弁当箱という進化
 私の勝手なイメージではありますが、
アジア圏は別として、それ以外の国の方々のお弁当とは、
きっとサンドイッチ(パン)ではないかと思います。

日本に訪れる外国の方々がお土産にお弁当箱を買っていく
ということが多々あるそうです。
日本の弁当箱は、絵柄がかわいかったり、
間仕切りがあったりといわゆるデザインがされているからだそうです。
こっていると言うことだそうです。

ほんとうに終始勝手なイメージで申し訳ないですが、
サンドイッチとは簡素化するために作られた食べ物だと思います。
それを持っていく際には、ほとんど仕切りも必要ではなく、
きっとサランラップでグルグルで問題ないです。
そうなると、フルーツも別にカットしなくてもいいか。
なんて。

ところが日本の場合は、米(おおよそ白米)です。
そうなると、それにはおかずが欲しいです。
また、手でわしづかみではなく、お箸で食べます。
そうなると必然的?に、ほかもお箸でしょ?
そうすると、おかず。料理しなきゃなんないですよね。
汁物?こぼれるこぼれる。間仕切りいるよね。
なんて風に進化したのだと思います。

とまぁ、冗談はさておき、
そのようにして、私たち日本人はそういうところに遊び心?
を持っていたのだと思います。

西洋ではテーブルマナーが、ガミガミ言われます。
かつ、自分たちの『食』が崇高なように祭り上げられております。
(最近はそうではないです。わかってます。)

しかしながら、私たち日本人は、
そんなラフなお弁当にもある種こだわり、かつ楽しみ、
テーブルマナー、ガミガミとはあまり言いません。

個人的に食事とはマナーも勿論大切ですけど、
肩肘張らずに楽しむのが一番ですよね。

すいません。終始私の個人的な偏見なので、
気分を害された方がおられれば誤ります。
ユニクロという習慣 続き
 続きです。
習慣と言うものは、とても不思議なもので、
その習慣が身についている人にとっては、
その行為に対して、ほぼ無心とでも言っていいほど、
何のためらいも違和感も生まれませんよね。

しかしながら、習慣になっていない人にとっては、
『一日一食生活』ではないですが、
場合によっては、その行為がとてもストレスとなる場合があります。

そのような意味で、日本の『おもてなし』や、
様々ないわゆる『文化』というのは、
外国の方からも賞賛されることが、多々あるようですね。

と、まぁそんな素晴らしい文化は、
人と人が係わる際の、ある種常識のようなものとして、
自分たちの習慣となっていきます。
スムーズにその習慣が実行できればなんのストレスも生まれませんが、
その習慣がほんの少し変わらざるえないとなると、
その時に皆様はどう感じられますか?

恐らく、大方が悪い意味でのストレスとなると思います。

ようやく話を戻せましたので、先日の続きですが、
世界的グローバル企業として、憧れの存在になった企業が提唱する、
普遍性として『在庫切れはありえない。』という感覚が身についてしまったら。。。

大げさな話だとは思います。
しかしながら、人と人の係わり合いの中で生まれた『おもてなし』という文化。
その習慣は強制力を強いるものではなかったと思います。

商売と言う中の習慣が『日本の文化』として、
浸透した場合に、私たちは『人と人の係わり』というものを、
かつてのように持っておくことが出来るのでしょうか?

どこか地方のスーパーで、
『ラー油』がないという事態に出会ったときに、
「じゃあ今日は、ごはんですよ。にしよう。」と、
笑顔で言ってってくれることを祈っております。
ユニクロという習慣
 「10年後世界一の企業に。」と、連日ニュース番組や、
特集番組が組まれ、日本代表グローバル企業として、
ワールドカップ以上に騒がれている感がありますね。

 先日、そんなユニクロの特集番組がやっていて、
その中で日本IDとして、接客サービスおもてなしを、
外国の人に教えていかにゃならん。
と、企業方針としての人材育成の方法が取り上げられていました。

店長職となる方々を日本で研修させ、
日本で培ったサービスを輸出する。
最近よく叫ばれていることではありますが、
日本の教育の販売ってやつですね。

その教育もなかなか難しいと言うことで、
上海のとある店舗が映っておりました。

そこでは、商品管理が徹底されていなく、
季節はずれの商品が並び、在庫が切れ、
「これじゃお客様が買えないじゃないか!」と担当者の方が仰っておられました。
まさしくその通りですね。

常に在庫が切れることなく、
いつ来ても買うことが出来る。
という魅力。

確かに、いつ来ても商品が揃っている。
不自由を感じることなく欲しい商品がある。
一切の不快感も感じることなく。。。

もちろん企業としてそれは、当然のことだと思いますし、
素晴らしいことだとも思います。
しかしながら、私は人間の感覚として、
そこに違和感を覚えます。

世界的グローバル企業として、
我国の代表として憧れを受けていくであろう企業。
その普遍性が、全国民に浸透したときに、
その『当然』ということは、
どのように次世代を生きる若者たちに影響を与えるのでしょうか?

続く。
一日一食 8.9日目
 一週間を越え、一食生活の恩恵はなんとなく理解できたように思います。
大きな変化も特になくなってきたので、
報告に関しましては、大きな変化が出るまでは、
突然ですが、しばし、更新を取りやめます。
思ったほどの飢餓感もないので、
興味のある方は試してみては?

ただ、この生活で大きく得た成果は、
以前にも述べましたが、『生』ということのありがたさですね。
食と睡眠、また活動にはバランス感覚が重要で、
過剰な摂取は、何も良い結果をもたらさないということを感じました。
また、よく噛まないこともですね。(笑)

過剰にとりすぎたエネルギーは、
消化されることなく放置され、有害なものとして悪影響を与えのだと思います。

それが、結果的に疲れや、睡眠不足、ストレスに変化し、
肉体を害し、命を削っていくのでしょう。
まるで今の地球みたいに。

かといって、一食生活はまだ続けますが、
今まで以上に『身体』を意識して続けようと思います。

空腹がストレスになるのならば、食べます。
エネルギーが必要ならば摂取します。

ただひとつ、この行為は、過剰でないかと言うことを意識して。

「愛する地球よ、あなたはこんなにも重いのか。」
宇宙で3年間の宇宙活動を終え、
地球に戻ってきたロシア人宇宙飛行士が残した言葉だそうです。

日本と言う飽食の国に生まれ育った私たちには、
なかなか理解しがたいことなのかもしれません。
しかしながら、当然のように自分たちは肉体を有し、
生命として日々を過ごしています。

当たり前にあるということは当然のことではなく、
とてもありがたいことなのだということを、
改めて、学べたような気がします。

なんてえらそうなことを言いましたが、
「生」を大切に思えることが当たり前になるように、
『一日一食生活』

「おすすめです。」
一日一食 7日目
 7日目です。
残念ですがこれといった変化は徐々に感じなくなってまいりました。

■食事
・りんご豆乳ジュース
・ブルーベリージュース
・22時ごろ 夕食 あんかけ野菜やきそば 味噌汁

■変化
・若干の肩こりの緩和
・目の疲れもなくなった
・ぼーっと感はない
・集中力、鋭敏性に関してはいまいちわからないですが、
 5.6日目の脱力感が胃の消化活動が原因であるのならば
 確実に成果は出ていると思います。

5.6日目に比べ、予想通り肉体的な怠惰感は少なくなりました。
体内の消化活動が、1食生活に慣れてきたのか、
空腹感も少なくなり、ストレスは限りなくなしです。

肉体が慣れてきたようであれば、
恐らく後一週間程度で、凡その結果が見えるかと思います。
希望的観測としては、
睡眠時間(眠気)の回避
肉体的健康状態が改善されれば良いなと感じるところです。

端的に大きな成果としては、
食生活、食事方法は大きく人間活動に係わり、
改めて生きていることの素晴らしさを学べた感が強いです。

と、終わりっぽい締め方ですが、
とりあえずまだ1週間は引き続きます。