前編なんてことを書くと後編を書かなければと言う勝手な圧迫から、
少しばかりかタイプするのが億劫になり、日が過ぎました。
というのは凡そ冗談ではありますが続きです。
ディスプレイデザインという言葉もあるぐらいに、
その道のプロの方たちは、何気ないマネキンの手や、
首の角度にも神経を配るものなのだと思います。
画家が絵を描くようにすべてのラインには必然性があるのでしょう。
そのようなところまで考えられてるのかどうかは置いておいて、
そのように計算された比率で作られたものには、
それこそ[必然]のバランスがあるのだと思います。
だからといって、そうなると既製品なんてものは
着れなくなってしまうかというとそんな浅はかではありません。
どんなデザインであれ、そこには意図がある。
その意図に対してどのように自分自身は解釈するか、
それが「顔で着る」ということだと思います。
人間と言う生き物は知能が発達してしまったからこそ、
理解できないということに対して恐怖を示すと言われます。
くさいものに蓋をするように、自らの尺度に還元して、
表現することで理解した気になり、
安心するそうです。
30年前ほどのモノクロの映画を見るとそこに登場する人物たちは
とてもお洒落だった様に感じます。
きっとそのころの人たちは自分はどういうものをまとっているという
認識が明確にあったのだと思います。
借り物の装いでは、デザイナーがイメージしたマネキンには
到底勝つことは出来ないでしょう。
自分自身がマネキンにならないためにも、
今一度装いということを考える必要があるのかもしれませんね。