子供の頃ピアノが弾けない言い訳に、
『私はスポーツタイプだから。。。』と、
指の間に残る水かきを、あたかもピアノなんて余興だ!
というマインドコントロールの手段に使っておりました。
が、とうとうスポーツタイプの人間が作られるかも。。。
なんて、神への冒涜であり、
幻想のキマイラが生まれていたかもしれないというお話。人と動物の交雑種、いわゆる「獣人」が研究施設で
極秘裏に生み出されていたことが明らかに
http://news.livedoor.com/article/detail/5735660/
「発生した胚は法律によって14日以内に
処分される必要があるため、問題は無い」
と、そんな話を目にし進化というものを思いました。
種別であり、性別であり、生息地がバラバラであることで
保たれ、繁栄し、支えられると言うバランスは
食物連鎖と呼ばれ、そこに現れた『人類』は、
そのバランスを崩すものであるとされました。
と、以前にそんな話もした気もしますが、
需要と供給ならぬ、風が吹けば桶屋が儲かる。
と、そんな原理則を当てはめると、
日本がもう成長しないことっていうのは
やっぱり納得いってしまうわけです。
と、またそんな話になってくるわけです。。。
でも、そんな話は暗くなるので、
結論を申しますと、“他者を意識しなくなった種別”の
日本人は“生物”=生きる物という意味で進化こそしたが、
“人類”=日本人ではなくなったということです。
何のことかと言いますと、“草食系”というやつですね。
こんな一言でまとめることしか出来ないのが哀しいところですが、
性別が理由こそどうであれ、“フラット化”したというのは、
大きな変化だと思います。
いわゆる一部の宇宙人が人類の進化した姿だと言われ、
それには性別がない。或いは性交渉能力のなくなった
オスの必然性が示せないという様なお話は、
前者の事実性はどうであれ、その性別の差異の有用性には
疑問符が残るわけですね。
ただ、バブルであったり、武家社会であったり、
天皇制であったり、なんてそんな大きな話にいくまでもなく、
性別の差異は次世代を作り、その次世代を作る夫婦を作り、
夫婦を作る仕事を作り、異性をくどく手段を作り、
明確な“目的”を作ったわけですね。
その明確な“目的”、簡単にまとめると他者への“意識”でしょうか?
その“意識”を保つ理念とまで大げさなものでなく、
“生きる意味”というものが養われなかったと言うのは、
この国の致命的な欠陥のように感じます。
生きる意味というのが何か?
と問われると勿論明確には答えられません。
しかしながら、他の国が長年保ち続ける
プライベートであり、バカンスであり、
デートは家族と言うものを根底にし、
その“家族”を作る為の“意識”をより多くの人々が、
共有していると言うのは“古い人間”でこそあれ、
存在をキープできる術であるように思います。
かつて日本人は外国から訪れた使節に
『貧乏だけど幸せそうだ。』と言われたと言います。
今、私たち日本人はかつての日本人よりも大きく進化しました。
でも、その進化と言うのは人類的な進化であり、
人間的共存方法と言うものを犠牲にした
キマイラの様な進化だったのかもしれませんね。
なんて、支離滅裂。。。
ですが眠たいので寝ます。