『井の中の蛙 大海を知らず』
福島原発統合会見が炉の『冷温停止』に伴い終了したようですね。
溶けて今も尚、放射性物質を放出している可能性の高い、
『放射能』も『無主物』だから、炉からこぼれ落ちた時点で
仮にメルトスルーで現役活躍中でも、原発とは関係ないってことですね。
と、久しぶりに東電の話題を挙げてみましたが、
『冷温停止』は『事実』とテレビは伝えているのでしょうか。
さて、今はテレビのない生活の私ですが、
昨年迄は『テレビッ子』を自称するほどテレビッ子でした。
様々なジャンルの番組で様々なことを学び、
興味の対象を広げる媒体として、
とても便利な『ツール』でした。
と、『テレビなんて過去のもの』的な発言ですが、
そうではなく、今も昔もそう変わらず、
学べる事も多くあり、ニュースで日々取上げられる様々な『ネタ』は
相変わらず興味の対象を今も変わらず提供してくれていると思います。
テレビがなかったらきっと流行についていけない。
テレビがなかったらきっと世間話が出来ない。
テレビがなかったら『一般』がわからない。
なんて不安の様なものがあった訳ですが、
結局のところ、なにも『変わらない』訳です。
そもそも『流行』って必要?
そもそも『世間話』って必要?
そもそも『一般常識』って何?
と、思う訳です。
本屋に行くと相変わらずビジネス書や、啓蒙書が販売され、
平積みになり売れている訳です。(売れてるんですよね?)
その内容も相変わらず、『この一冊で。。。』
『これを読めば。。。』『あの偉人は。。。』な訳です。
個人的にはビジネス書も啓蒙書も2、3冊目を通し、
『えっ?知ってるし。』と気づくだけのものであり、
積み重ねられた過去のそれぞれの著者の『要約』でしかない訳ですね。
だから変わらずニーチェは読み継がれ、
それを『読んだ』著者が新たに『出版』する訳ですね。
結局、情報も思想も流行も日々生みだされ、
日々進化しているという『幻想』にとらわれている様に思います。
日々出版される『書物』には、日々新しい事が記録され、
日々放送される『情報』には、日々流行が隠れている。
もしかしたら『新しい事』も『流行』もそこにあるのかもしれません。
国会図書館なんかに行くとこれだけ『膨大』なんだもの、
知らない事が山ほどあるんでしょうよ。
テレビのチャンネル数もこれだけ増えたんだもの、
興味のある番組が山ほどあるんでしょうよ。
きっと『山ほどある』ことに知らぬ間に満足し、
山ほどあるから、どこかを掘れば金が見つかる。
と、私たちは『膨大な山』であり
『膨大な時間』を採掘に使っているのではないでしょうか。
膨大な山は先進国だけが有した『過去の蓄積』であり、
『過去の遺産』であった訳です。
しかしながら、その『山』は世界中からアクセス可能であり、
世界中が採掘可能となった訳です。
私たちは『膨大』にあることに満足していただけではないでしょうか。
それはもしかすると、
『金のスコップ』を持っていることを
自慢していたというだけの事かもしれません。
金は柔らかく重いものです。
そんなものよりも今は『カーボンのスコップ』の方が
良かったりして。。。
観ようか観まいか迷う映画
『
エル・ブリの秘密』
http://www.elbulli-movie.jp/