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大人
 『大人になりたがる子供。』
なんて話を、小島慶子さんが仰っていました。
日々成長する子供達は、熱烈に成長する事を望み、
壁に成長の過程を刻み、脳に新たな知識を刻み込む。
日々『成長』することで、
『大人』という広大な『可能性の未来』に、
早く近づくのが目的の様に、子供達は
『熱烈に大人になりたがっている。』

いつのまにか私たちは『大人』ということの意味を、
それに近づくにつれ誤解しているのか、
それとも単純に真理に近づいているのか、
子供の頃とは大きく捉え方を違えている様に思います。

恐らく大多数の人が共有しているつもりである
『大人』という意味を正確にまた、
誰もが納得出来る様に説明出来る人というのは、
ほとんどおられない様に思います。
はたして『大人』とは何なのでしょうか?

なんてこれまでにも何度か記載している事ですが、
結局の所ただの言葉でしかなく、言葉でしかないからこそ、
『理想』の目標という設定が出来る、
個人的には使いやすい『単語』の様に思います。

人間の成長過程の表現は恐らく、
生まれてから死ぬまでの間にある
ある一定の期間の事を『大人』と呼び、
その後一瞬、『老人』となり衰退の象徴の様に
捉えられる様に個人的には思います。

この世に『発生』した時点から、
『成長』という様々な『経験』を積む期間を『子供』の期間とし、
その後それらの経験を『組合せ』『成熟』させる期を
『大人』の期間とする。
そして、それらが『削られていく』期間を『老化』期とし、
『大人』という期間を頂点としたいびつな三角形、
または上辺の極端に狭い台形が、
人間の『一生』の軌跡の様に思います。

さて、あなたは三角形のどの位置におられますか?

なんとなく私たちはまだ『大人』にはなれていないことを知りながら、
『一生の軌跡』の上では、己のピークは過ぎ去った様に
感じている傾向が強い様に思います。
三角形の頂点に達する前に、いつの間にか頂点を飛び越えて、
下降のラインにのっている。

子供の頃の上昇のスピードに比べると、
もしかすると明らかにスピードが落ちたのかもしれません。
しかしながら、スピードが落ちたということが、
下降していることの様に捉える傾向が強い様に思います。

ま、偉そうな事を言ってすいません。
なんとなくポッドキャストを聞いていて、
もしかすると自分自身下降のラインにのっている
気になっている様に思っているかも。。。
と自戒の意味と、まだまだ『成長途中』だということを思い直し、
勉強しなきゃな。と思う今日この頃でした。

今月観る予定の映画
『Pina/ピナ・バウシュ』
これは観るっきゃないでしょ。
http://pina.gaga.ne.jp
井の中の蛙
 『井の中の蛙 大海を知らず』
福島原発統合会見が炉の『冷温停止』に伴い終了したようですね。
溶けて今も尚、放射性物質を放出している可能性の高い、
『放射能』も『無主物』だから、炉からこぼれ落ちた時点で
仮にメルトスルーで現役活躍中でも、原発とは関係ないってことですね。

と、久しぶりに東電の話題を挙げてみましたが、
『冷温停止』は『事実』とテレビは伝えているのでしょうか。

さて、今はテレビのない生活の私ですが、
昨年迄は『テレビッ子』を自称するほどテレビッ子でした。
様々なジャンルの番組で様々なことを学び、
興味の対象を広げる媒体として、
とても便利な『ツール』でした。

と、『テレビなんて過去のもの』的な発言ですが、
そうではなく、今も昔もそう変わらず、
学べる事も多くあり、ニュースで日々取上げられる様々な『ネタ』は
相変わらず興味の対象を今も変わらず提供してくれていると思います。

テレビがなかったらきっと流行についていけない。
テレビがなかったらきっと世間話が出来ない。
テレビがなかったら『一般』がわからない。

なんて不安の様なものがあった訳ですが、
結局のところ、なにも『変わらない』訳です。

そもそも『流行』って必要?
そもそも『世間話』って必要?
そもそも『一般常識』って何?

と、思う訳です。
本屋に行くと相変わらずビジネス書や、啓蒙書が販売され、
平積みになり売れている訳です。(売れてるんですよね?)
その内容も相変わらず、『この一冊で。。。』
『これを読めば。。。』『あの偉人は。。。』な訳です。

個人的にはビジネス書も啓蒙書も2、3冊目を通し、
『えっ?知ってるし。』と気づくだけのものであり、
積み重ねられた過去のそれぞれの著者の『要約』でしかない訳ですね。
だから変わらずニーチェは読み継がれ、
それを『読んだ』著者が新たに『出版』する訳ですね。

結局、情報も思想も流行も日々生みだされ、
日々進化しているという『幻想』にとらわれている様に思います。

日々出版される『書物』には、日々新しい事が記録され、
日々放送される『情報』には、日々流行が隠れている。

もしかしたら『新しい事』も『流行』もそこにあるのかもしれません。

国会図書館なんかに行くとこれだけ『膨大』なんだもの、
知らない事が山ほどあるんでしょうよ。
テレビのチャンネル数もこれだけ増えたんだもの、
興味のある番組が山ほどあるんでしょうよ。

きっと『山ほどある』ことに知らぬ間に満足し、
山ほどあるから、どこかを掘れば金が見つかる。
と、私たちは『膨大な山』であり
『膨大な時間』を採掘に使っているのではないでしょうか。

膨大な山は先進国だけが有した『過去の蓄積』であり、
『過去の遺産』であった訳です。
しかしながら、その『山』は世界中からアクセス可能であり、
世界中が採掘可能となった訳です。

私たちは『膨大』にあることに満足していただけではないでしょうか。
それはもしかすると、
『金のスコップ』を持っていることを
自慢していたというだけの事かもしれません。

金は柔らかく重いものです。
そんなものよりも今は『カーボンのスコップ』の方が
良かったりして。。。

観ようか観まいか迷う映画
エル・ブリの秘密
http://www.elbulli-movie.jp/

単語の話 未来
 『未来』というと皆様どの様なことを想像されますか?
未来と言う言葉自体はとてもロマンティックな印象で、
映画『ターミネーター』の様なネガティブな
未来を想像される方は比較的少ないと思います。
また、出来ればそうあって欲しいと思います。

と、抽象的な『未来』については、
自分の境遇とは切り離して考えやすく、
ある意味で『甘い未来』に思考を飛ばす傾向があるように思います。

では、あなたの未来はいかがでしょうか?

時代ごとの未来は『不安』と『安定』という言葉が
如実に表すように今を生きる人々に置いては、
『不安しかない未来』は見たくもないものであり、
『安定するであろう未来』は見なくても安心なもので、
考える必要のない未来に進んでいた方々は、
過去を生きた人たちに多かったように思います。

かつて、男と女は未来永劫続くであろう『お家』の為に、
明日を生き、子世代孫世代へのバトンを作っていたように思います。
実際のところ、過去の資料と言うものは、
現代のヒトが造作したものであり、
そこにいた人のほとんどが現代の人々と
あまり変わらなかっただろうとは思います。

ただ、後世(現代)に史実として出された美談は、
多くの人の心を動かしたように思います。

『我が事』の為だけに生きる現代の、
外国人採用枠や、海外戦略というものは、
『いつかの未来』ではなく、『ただの明日』になっているような気がします。

仕方のない話ですし、『こんな時代に未来なんて。。。』
というのもわかりますが、『それはいっちゃいけないお約束。』と、
暗いことしか言わないわがままなお子様たちには、
どうも失望感が否めません。

子供の頃(安定していた頃)は馬鹿だったけど、
少なからず前を見ていた気がします。
単語の話 英語 ホラー
 私は英語は中一で卒業しました。
最近の子達は〇〇ですねぇ。(良いも悪いも)

今日はホラーですので、心臓の弱い方は。。。
といっても、もうそんな人はいない気もしますが。。。

皆様もご存知のことかもしれませんが、
日本の教育(エリート教育)特に英語教育は、
大国〇〇〇カによって、歪められたというのは有名な話ですよね。
真偽のほどは定かではないので、
ファイヤーはやめて頂きたいですが、
なるほど、ようよう納得できる。

と、最近ではメディアを通して、
少しづつ日本の英語教育は間違っていた。
こういう教え方ならわかるでしょ?
というのが出てきてますね。

確かにとてもわかりやすい。
というより、こんなに簡単なの?
中一の私の頭でさえも、見る見る疑問が鼻くそみたい。

まぁ、今更私みたいな一個人が、
問題提起してもなんともなりゃしませんし、
どうせ、政治家の皆様にやられますし、
そんなことに興味もありゃあしません。

でも、仮にそういう過去の経緯があったとして、
なぜ今頃、『わかりやすい簡単英語』を私たちは許されたのでしょうか?

かつて日本人は、『危険な民族』として諸外国に恐れられました。
だからこそ、剥奪し、破壊し、調教しなければなりませんでした。

調教は完了しました。


もう誰も、暴動は起こしません。
単語の話 義賊2
 昨今では、インターネットの発達に伴い、
それこそ『いつでも、どこでも、誰とでも?』、
モニターを通してワンクリックですね。

いやはやとても便利になりました。
出かける必要も、探す必要も、店員さんに話しかける必要もありません。
それに甘えているわけですから、
正直言ってぐぅの音も出ません。

だから、ぐぅの音は出しません。
お出かけしませう。探しませう。話しかけませう。
そしてなかったら『ないじゃないか!』と文句言います。
そして『入れてもらえませんか?』ってお願いします。

かつて、天下の義賊はお金を抱え『ニンマリ』
するだけの奴らを襲いました。
そして、奪ったものを分け与えました。
奪うことを良い事だとは断じて言いません。

ただ、『金は天下の回りもの』です。
それが、腐らないばっかりに、
それに手の届かなかったものたちが腐っていきます。

だから、努力しない商店が良いとは一切言いません。
ただその人たちに『信用がない』理由を教え、
また、ある意味で子供に手助けするような怠慢の気持ちで、
『おいさん助けてやろうか。』と、
自己満足に陥ってみてもいいんじゃないでしょうか。

近くのあの店がつぶれたのは、
あなたのせいです。(勿論店主が悪いわけですけどね。)

でも、例え偽善だとしても、
そう思って、何万分の1のあなたよりも、
『おめえなんかに買ってもらう筋合いはねぇ!』って、
一対一のどつきあい(ど付き合い)をする方が楽しくないでしょうか。

使わない。使わない。と老い先短い方々に文句を言うのはもうやめて、
出来ることから始めましょう。

お金の回し方は様々です。回す方法を考えましょう。
単語の話 義賊1
 はい。というわけで続きまして。
まぁ、お金の話に関しましては、
私がクドクドというまでもなく、皆様ご承知の通りだと思いますので、
心を治めて、しばし戯言にお付き合い下さい。

 天下の義賊と言えば、『石川五右衛門』
みんなのアイドル『ルパン3世』ですよね。
ですよね。

『金=信用』というのは、前回のお話ですが、
今、その『信用』はどこにありますか?

ご承知の通り、大企業であり、悪徳政治家?ですよね。

と言ってしまいますと、
お金持ちが悪いみたいになってしまいますが、
そうではありません。

『信用』がないから、お金が入らない。
『信用』できないから、買いたくない。
『信用できないのが悪い。』と、思います。

だから、『信用できた。』円天が一時騒がれました。
彼らは、良いも悪いも、断固悪いと思いますが、
『信用されちゃった。』わけです。

というわけで、話が変わりまして、
本日私は本を買いました。コンビニで。。。
『だって、本屋さんに売ってなかったんだもん。
 売ってそうな本屋さんないんだもん。』と。

次回に続く。
単語の話 お金
 お金とは何か?と問われたら、
その問いに『信用です。』と答えることに
異論を示す方はほとんどおられないと思います。
信用しているから、それを受け取り使えることに喜ぶわけですね。

皆様ご承知の通り、かつて取引は『物々交換』でした。
それが年貢になり、その年貢を納められる規模が
石(コク)で表され、金銀財宝も含めて給金となりました。
その中で最も重宝されたものが、
金であり希少性、象徴性ゆえに価値が設定されているわけですね。

その金とは何か?というのは、希少性などもさることながら、
『腐らない』というのが利点ですね。
だから、年中問わず、気候問わず『交換手段』として、
『信用』になるわけですね。

さてさて、その信用は今、現在どのようになっているでしょうか?

かつては、日々腐り行く『信用』は、
それこそ交換されることで回り続けました。
腐る前に食したり、また別のものと交換したり、
あるいは『腐らせてもなんだから。。。』と、
分け与える。

ヒトの営みとは、
そういうものであり、
またそうであったからこそ、
大量に自然を切り開くことはなかったわけですね。
大量に出来てしまっても、消費できず、
それこそ、『腐臭』を放つだけです。

でもお金は腐臭を永遠に放つことはありません。
むしろ、ずっと一緒にいたいぐらいですもんね。

というわけで、次回は『義賊』、
金は天下の回りもの。をお送りします。