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映画『きっと、うまくいく』人生感がわかってしまう映画です。
 生涯ベスト映画。

私を信じて頂けるなら、以下は読まずに映画館に直行して下さい。
別に事前情報を入れたからって感想が変わる様な映画ではないですし、
肩肘張らずに笑って、泣けて、ためになる映画です。
日常を最大限に謳歌してる人には必要ないかもしれませんが、
『元気が欲しい』とか『面白い事がしたい』などなど、
ほんの少しでも悩み事があるような人には、
絶対に観てもらいたい映画です。
きっと、元気になれます。

以下、感想です。といっても超稚拙な内容ですw

30代以下でこの映画が面白くないって人は、人生詰んでます。
エンターテイメントとして超一級。

きれいごと?
人生そんな簡単じゃない?

うまくいかないことのほうが多い?
映画として粗が多い?


そんなことをこの映画の観賞後に思ってしまうって、

ほんとに人生詰んでると思います。


あなたにとって面白いことって何ですか?



皮肉じゃなくすべての人に見て欲しい映画。
サントラもお勧め。

ほんとにほんとにお勧めです。
前田敦子さん並みに、
『私の事は信じなくても良いですけど、この映画だけは観て下さい。』的な。
月並みの物言いですけど、とても元気になれる映画です。
このブログを観てくれてる人で嫌いな人は絶対にいないはずです。
むしろ、そんな人、私は嫌いです。

まじで良いです。
私の知人で良くなかったら代金払いますよ。ってぐらいです。
だから、ほんと観てね。ほんとに貴重な映画体験になると思います。

笑って、泣けて、ためになります。
ほんと気楽に見れて、なによりとてもわかりやすいです。
1800円が高いなら、
金券ショップで1300円ぐらいでチケット買えるからね。

友人に絶賛評を伝えたらハードルが上がるからって言われましたが、
言わせてもらいます。ごちゃごちゃ考えずに映画館にすぐ行きましょう!
『DVDで。。。』とか言う人とは、口もききたくありませんw。

『Aal izz WELL』(きっと、うまくいく)

『きっと、うまくいく』(3Idiots)
ヤフー映画レビュー
http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tymv/id345047/s0/or1
予告
http://www.youtube.com/watch?v=w5j5ayhfKAE
(ちょっとこの予告はアホみたいですけど。。。)
上映館情報
http://www.eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=98
映画『セデック・バレ』を観た。ヘイトスピーチとかほんと恥ずかしいしやめようね

 内容に関しては、時折蛇足過ぎる感もありましたが、いやぁ、面白いの一言。
ただ、良く言われている『反日映画だ!』っていうよくわからない見解とは、
有識者の方の見解同様、『観てから言え!』スタンスですが、
むしろ、『絶対この監督日本好きだよ。』って思うぐらい、
個人的には色んな意味で応援したくなる映画でした。

戦争映画だけでなく、反日運動然り、いじめ問題然り、
日常、非日常問わず対立構造というのは、それを傍観する者にとっては、
とても簡単でわかりやすい図式です。
だから、それを観る傍観者は、あくまでもわかりやすい問題に対して、
YES,NOという個人的な感情だけで判断する。
インターネットの発展の影響なのか、グローバル社会の影響なのか、
それとも英語思考、成果主義の影響なのかはわかりませんが、
こういう安易な思考の流れと言うのが、日々促進されているように思う今日この頃です。
わからないという意見が恥ずかしいものなのか、
それとも“強い主張”というのが、まるで力を持っていると勘違いしているのか、
“本質”とは別の論議が日々繰り返されているように感じます。
あくまで、自分の存在、自分の主張を傷つけない為に、
それによって傷つく人がいるかもしれないことを何一つ考えないで、
偽善者の刃を“敵”に向けるわけですねぇ。
映画の中の日本人たちよりも、遥かにたちの悪いヘイトスピーチとかホントに、
日本人として出草してやりたくなっちゃいます。

と、まぁそんな話は置いておいて、この映画の中で描かれている“日本人”は多様です。
やっぱり抽象論というのはとても簡単で、私も普段『○○人はほんとに。。。』
とひとまとめにして、外国の人をとらえてしまう発言を言ってしまう事がありますが、
当たり前の話として『色んな人がいるわけです』。

現実社会においても、同族である日本人に対し、
『このじじいが!』とか『こんのババァが!』とか、
『このくそガキが!』なんて思う事は多々あるわけで、
いいやつもいれば、『○○○!!!』って思うやつらも腐るほどいる。
むしろ、知り合いの外国人の数よりもはるかに多く。
でも、外国人を総称するときは悪いところばかりを抽出して、
悪の代名詞みたいにいってしまう。ほんと、悪い姑みたいですね。

でも、この映画は、対立構造としても賛否が分けやすく、
倫理観、道徳観からみても“明らかに”やな日本人を、個人単位で描き、
時には美しい死に際で描いたり、哲学じみた言葉で飾ったりと、
いやぁ、そんないいやつじゃないよ。
って、日本人として恥ずかしくなるぐらい誠実に描いていたりするように思います。
(悪い見方で見ると、それも策略だよとか言えるわけですけどね。)
同時に、先住民の中でも対立構造があり、
“男たちの行動”に女が『どうして?』とか、
歌まで歌ったりと『理解できないコトがあること』を誠実に
描こうとしているように感じました。
だから、そんな映画だから、大佐のセリフとか、虹のシーンとか、
『いや、いらないよ。。。ww』と思いつつも、
この監督を応援したくなっちゃうんですよね。

映画の中で、女は事態を理解できない『弱き者』の様な存在であり、
いつの時代も主人公は男!の様に対立構造を描かれますが、
現実はあまりにも広大で、あまりにも理解できないことに満ちている。
部族に生きる女として、描かれる女も、変化を受け入れる女もいる。
色んな女が居るのに『どうして男たちは〜♪』みたいな。

と、感想を述べだすと色々と思う事があり、
終わらなくなってしまうのでこれぐらいにしておきますが、
『ホント戦争ってダメ!絶対!!』って、
超幼稚な感じの感想になって申し訳ないですが、
どんな戦争からも、長期的には得られる成果などなく、
なんの意味もないものなのに、
短期の利害=自己満足の為だけに行われるものなんだなぁ、と思うわけです。
自己満足とかいうと、なんか、日本では既得権益問題みたいな事を思いますが、
戦争も既得権も結局、そんな『どうして男たちは〜♪』的などうしようもない、
馬鹿で、無知で、恥ずべき行為なんだなと思う今日この頃でした。
何にしても素晴らしい映画。素晴らしいと言うと少しニュアンスが違いますが、
男は自分の生き方を見つめる為に、女はベジータが好きで、
『戦争映画?嫌いじゃないわよ。』って感じの人には、超お勧めです。
でも、基本男の子ムービーであることは間違いない。

遂に原恵一監督の作品が。待ちわびました。
『はじまりのみち』
http://www.shochiku.co.jp/kinoshita/hajimarinomichi/

映画『終の信託』
  善悪を決めるのは他の誰でもない。
それを決めるのは『勝手なあなた』でしかない。

映画『終の信託』を観ました。
え?だから、これが映画でしょ?
っていう映画でしたが、『希望の国』に続き賛否両論の嵐。

人は何事に置いても自分の判断基準で物事を判断する。
良い行いも悪い行いも環境も立場も飛び越えて、
己の好き嫌いに近い『勝手な感覚』で判断する。

映画は大きく分けて『尊厳死』と『司法』の在り方のお話。
でも映画から伝わってくるものは、
もちろん2つの問題も大きな問題ではあるが、
それよりももっと身近な話の様に感じる。

ルールの中でそこの人々は生きる。
ルールがあるからこそ守られる事もあり、
ルールがあるからこそ縛られる事もある。
そして、参加者、条件が増えれば増えるほど、
多様な意見や蓄積された経験が飛び出し、それが複雑に絡み合い、
最初は少数の了承のもとで、決めていたルールが曖昧にぶれだす。

環境、立場、感情、関係性など様々なことがひとつの問題にはついてくる。
そして、その問題の数は関わる人と時間の数だけ倍増していく。

2人だけの約束は、あくまで2人だけの約束事。
嘘の様な現実も、他者からすればただのフィクション。

当事者ではない第三者は己の『感情』で物事を判断し、
当事者は己のディティールに『感情』を込める。
ただし、その『感情』はどちらにも共有されない。

だって、『俺、そんな事言ったっけ?』の一言で話は終わる。

ひとつの曖昧な世界を支えるものは互いの了解のみであり、
そこに齟齬が生まれればその『世界』はいとも容易く終わる。

以下映画の感想です。

まさしく信じて託す。
信じられる、信じたいからこそ人はそこに己を託す。
しかしその信じると言う行為はとても儚いもので、
信じる対象がいかに受入れるかに全ては掛かっている。

不倫と言う恋愛関係でも、主人公は己の気持ちを相手に託し、
託しきって裏切られたからこそ大きく傷つく。
託す行為はあまりに脆く、同時にお互いの了承の上でしか成り立たない。

患者との信頼関係は、愛情にも似たお互いの好意により成り立ち、
その関係は付き合い始めのカップルの様にとても美しい。
しかし、その関係性は患者の死により崩壊する。
2人だけで作ったルールは、外の世界には通用しない。

どちらの話も、当事者性と責任と言う問題が根幹にある。
映画であれ、誰かのエピソードであれ、第三者として関わる私たちは、
傍観者であり当事者には絶対になれない。
当事者ではないからこそ、無責任な発言を繰り返したり、
『現実性』という訳の分からない『己の世界』に当事者を当てはめようとする。
だから決してそこで解り合える事はない。
だって、当事者じゃないのだから。

よく『現実は小説よりも奇なり。』という。
しかしながら、傍観者にとっての『現実』とは、わかりやすいもの或は、
己の理解出来るものでしかない。
だから、理解出来ないものは『嘘だ!』とか『あり得ない』なんていうことを、
何のためらいもなく発言する。

でも、自分が巻き込まれ『当事者』になった場合は一気に発言が変わる。
『なんでわかってくれないの?』とか、『信じてよ!』とかって言い出す訳だ。

この映画は、当事者として責任を『受入れる』ことが描かれている。
それは理不尽だろうが、間違っていようが動かす事の出来ない事態に対してである。

何事も受入れなければいけない。なんてくだらない事を言っている訳ではない。
『現実』とはそういうものであり、
『現実』だから、ある日、唐突に自分に降り掛かるかもしれない。
という当事者として巻き込まれてしまう『現実』を描いている様に思う。

だから、『病院で医者同士が。。。』とか、
『患者とそんな。。。』とかという否定の言葉を見ると、
どうしてこうも勝手なのか。。。と個人的には思ってしまう。

映画『希望の国』のレビューにも書きましたが、
わからないものはないものであり、
自分の目に見えないものは存在しない或は間違っている。
と断定する人があまりにも増えている様に思う。
どうしてこうも他者ということを理解は出来ないまでも、
理解しようと言う『努力』をしない世の中になったのだろうか。
答えが『明確』に用意されているものだけが、
良いものの様に感じる様になったのでしょうか。

そんなにもあなたの人生と言うのは、
誰もが理解出来るほど単純で、普通でありきたりの人生なのでしょうか。
そうだとしたら、きっとこの先もこういった
『事件』に出会う事なんて『絶対』にないから、
平凡な人生を淡々と楽しんで頂ければと思います。

なんて、最後は愚痴っぽくなってしまいましたが、
個人的には『希望の国』に続き、
現代人が失ってしまいつつあるのだろうか、
『当事者性』と『他者』ということを改めて考えさせられる映画でした。
何も考えたくない人は見ない方が良い。
でも、『いつかあるかもしれない不安』に対して考える事は必要だと、
少しでも思っている方がおられたら、
そんな方にはお勧めの映画だと思います。

なんせ実話に基づいたお話だそうですから。

映画『終の信託』
http://www.tsuino-shintaku.jp/
映画『希望の国』 アーティストってのはこうじゃなきゃね。
 女『1歩、2歩、3歩。』
子供『1歩、2歩、3歩なんておこがましいよ。
   私たちは1歩、1歩、1歩。』

映画『希望の国』を観てきました。
いやぁ。引くほど泣いちゃいました。
感動?そんなんじゃない。
悲しみ、失望、切なさ、絶望、
現実の何千、何万分の一も被災地に行ったこともない
私が述べるのもほんとおこがましいですが、
なぜか涙が止まりませんでした。

上映される物語は知っているようで、知らない話。
いつか『私』の身にも起こるかもしれないけど、
『きっと』起こらない話。

過度に『放射線』に反応する主人公たちは、
影でせせら笑う『私たち』とは『別の世界』を生きている。
その『別の世界』を私たちは知っているようで
なんにも知らない。

だから、かつての『悲劇のヒロイン』の話も、
『大人』になった『私たち』にはただの『幻想』に過ぎない。

いつの間に、私たちはこんなにも『現実』が見えなくなったのだろうか。
放射能の影響がどれだけ大きいのか、
はたまたまったく影響がないのか私はまったく知らない。
けれど、それを『知る』のはいつなのだろうか。
知ったときに『悲劇のヒロイン』たちを
今日と同じように笑うことは出来るのだろうか。

私たちはいつも『わかりやすいこと』だけを見て、
『わからないこと』には蓋をする。
そして、物事は進み『わかりやすいこと』は1歩、2歩、3歩と進み、
『わからないこと』は忘れ去る。

どんなことでも、容易に、目に見えるものだと誰もが信じる。
地位、名声、階級、体裁、社会性とか安全性って『言葉』。

3.11が大きなきっかけになったのか、
単純に今まで蓋を閉め続けたパンドラの蓋が
開いてしまっただけなのかはわかりませんが、
いわゆる『価値観』っていう『普通』とか『当たり前』とかってやつが、
ぐらぐらぐらぐら、揺らぎだした。

その時、私たちに出来ることは何なのでしょうか?

これまでは『問題』が目に見えたのかもしれない。
または目に見える問題だけだったのかもしれない。

着実に解決できる『問題』だけに対処すれば良いだけの時は終わった。
何事も、肯定的に美しく積みあがっていくわけではない。
時には、破壊も必要であり、
無様にも手当たり次第取り掛かることが重要である。

社会性?人間性?日本人として?それが何になる。体裁もくそもない。
その『現実』に巻き込まれたとき、
あなたは『防護服』を着ないと言い切れますか?
リストラにあったとして、あなたは『生活保護』を断りますか?

『1歩、2歩、3歩なんておこがましいよ。私たちは1歩、1歩、1歩。』
それは、絶望の言葉なのかもしれないが、
個人的には『希望の言葉』なのだと感じた。

『出来ることを最大限やりましょう!そしたらきっと。。。』
って言葉にすると軽すぎる言葉ですが、
そんなメッセージのある映画だと思いました。

最後に、賛否両論あるようで、演出が過剰だ!とか、
最後は『愛』で終わりかよ!って感想が見受けられますが、
演出に関しては、あまりにも『無知な私たち』への演出であり、
神楽坂恵さんの台詞の『愛』っていうのは、
前後関係的に結局『愛』では何も変わらない。
っていう皮肉たっぷりの台詞に個人的には感じたのですが。。。
受け取り方も人それぞれですね。
少なくとも『目に見える』ものだけを信じるだけにはならないように、
『お前の問題だ!』って夏八木さんい怒られない様にしないとね。

ま、とりあえず必見でしょう。
映画『希望の国』



映画『テイク・ディス・ワルツ』とっても痛い映画
 『赤ん坊が泣く理由はだいたいわかる。
お腹が減ったとか、おしっことか汗疹が出来たとか。
だから90%ぐらいあやす事は出来るけど、
どうしても、理由がわからない時がある。』

なんて感じの台詞が印象的だった
映画『Take this waltz』を観てきました。
痛い。かなり嫌いな映画でしたが、とても面白い映画でした。

その、10%は大人になってもあるんだけれど、
それはとても一瞬だから、赤ん坊の様に大人は感情を爆発させる機会を逃す。
その一瞬は、『世界』と『自分』の繋がりに対する不安。

その『不安』の穴を埋めてくれるのは『愛』かもしれない。
でも、その『愛』の『形』というのは、
食べ物を与える事や、おむつを換える事、汗を拭うことなど、
誰にでも当てはまるものではない。
そして、それを求め泣き叫ぶ本人にもきっと、
どれが適切な『形』なのかは、わからない。。。
っていう感じの映画でした。

ストーリーは、結婚5年目倦怠期を感じだした妻(主人公)。
夫婦生活はそれなりにじゃれあったり、それなりに仲が良い。
でも、時々10%の『不安が襲う』。
だから、その不安を感じない様にと『愛してる』を唱え、
夫婦生活を成り立たせようと努力する。

ある日、ふとしたきっかけで出会った男性は、とりとめがなく不思議な男。
不思議な男は、主人公に素朴な刺激を与える。
その刺激に酔いつつも今の夫婦生活という『自分』を壊す勇気は
なかなか出ない。だって夫を『愛しているから。。。』

ある朝、ポストに投函する音が聞こえ床に落ちた手紙を見ると、
そこには男のメッセージ。そして、カーテンを開けると、
荷物をまとめ、トラックに乗り男は去っていく。
そして、やっと『気づく』。

朝、夫にそのことを告げた。
夫はなかなか受入れなかったが理解した。
そして、夫に送られ妻は出て行く。
『不安』を埋めてくれるかもしれない『新生活』を求めて。

って、これ以上はネタバレになりますので、
見ようと思っておられる方はここまでで。

で、話としては、男のとこに行き、
楽しく刺激的な時を謳歌するのですが、
月日は流れ、同じ倦怠期がやってくるわけですね〜。
で、ふとしたきっかけで少し成長した元夫の所に戻ることに。
そしたら、
『人生なんて、どこか物足りないものなのよ!』
って、仲の良かった義理の姉に言われ、
離れてみてやっと気づいた素敵な夫からも、
『(復縁?)それはない!』って言われ、
『負け犬人生確定!』って感じになっちゃうわけですね〜。

そして、最後は。。。

最後は自分を慰める意味で、良い様に捉える事も出来ますし、
悪い様に捉える事も出来ます。
ま、ほとんどの人が『ウッ。。。』って感じになると思いますが。

ストーリー自体はよくある感じなのですが、
監督が女監督という事で、男として単純に男と女の
『くだらなすぎる行き違い』というか考え方の違い
女は『(くだらない)じゃれあい』を愛情表現とし、
男は『(くだらない)いたずら』を愛情表現とする。
でも、お互いにお互いの愛情表現を愛情表現ではなく、
単純に『くだらない行為』だと思い、
お互いに『(相手の)愛がない。』って感じているっていう。

第三者から見たら『馬鹿!!』って、
『(お互いに)気づいてないだけじゃん。。。』
ていう倦怠期だからなのか、『恋は盲目』ならぬ、
『自己愛こそ盲目』的なことを再認識し、
素直に勉強になりました感。

そして、主人公が純粋すぎるからこそ『痛々しい』感。
(まっすぐにくるからほんとに痛い。自分に当てはめてみたり。)

そして、自己愛に盲目になっていることに気づけなくなってしまったら、
『The end』感。

と、冗談ぽい感じはこれぐらいにしておいて、
『10%の不安』というのに、私の興味は行く訳です。
個人的にはとてもしっくり来る感覚で、
この10%が人生を装飾的に『デザイン』
するところだと個人的には思う訳です。
その他の、泣く原因というのは容易に補う事が出来る『欲求』であり、
いわゆる『金で買えるもの』という感じがします。
『自由に買える』また、『思う通りに使える(自分のもの的)』。

かたや、10%というのは『なにかわからない。』
ぼんやりとした感覚『なんで生きてる?』とか、
『自分の意味はあるの?』とか、
『世界』と『自分』というまったく別のものに
『何の関係があるの?』という感覚。
『取り残された感』というのでしょうか。

個人的には『取り残された感』が一番しっくり来る訳です。
それは、子供の頃、見知らぬ町で迷子になり、
『世界(家族)』と分断されてしまった様な感覚。

『えっ?』っていう。訳の分からない感覚。
どうしたらいいとか、そんな話じゃなく『えっ?』。
目が点的に、頭が真っ白な感覚ですね。

そんな感覚が大人になっても『一瞬』だけどある。
その『一瞬』に映画『KOTOKO』の主人公はリストカットし、
生を確かめたり、『桐島』は部活をやめたりする。

言葉にするのはなかなか難しいけれど、
その『えっ?』っていう瞬間に『ポジティブな意味』
なんてものを見つけられたら、きっと人生はうまくいき、
『ネガティブ(自己愛)』なものを見つけてしまうと、
固執していく。

10%の解決法は人の数だけバラバラだけど、
この映画の主人公は夫の『愛情表現』と、
自分の愛情表現が『伝わっていない』ことを理解するか、
夫の様に『信じる』かしかなかったんでしょうね。

10%の『不安』を埋めることができるのは『他者』だけである。
同時に『信じる』だけであり、
『信じる』以外に本人ができる方法はない。

『デザイン』は他者のものである。

映画『テイクディスワルツ
http://takethiswaltz.jp/

10%の不安に飲み込まれた感じかな?
映画『KOTOKO』

おおかみこどもの雨と雪
 『わぉーーーーーーーーーーーーーーーーーん。』
(※大丈夫という狼語)

素晴らしい映画でした。同時に『この軟弱モノめが!!!!』
と痛烈に文太さんにどなられたような映画です。

映画の中では、日本の様々な問題が表現されていました。
中でもここ最近の出来事で言えば『いじめ問題』。
未成年者保護の撤廃だの、教育がなっとらんだの、
教育委員会がどうだの、親がどうだの、本人がどうだの、
慰謝料がどうだの言われますが、
もうほんと『どうだって言い。』
『結局お前ら、何にも出来ないんだろ。』

映画の中では『大人のいじめ』や『都市のいじめ』があり、
いかにも自分たちこそ『正しいのだ!』と自分たちの
『役目』を何の疑いもなく行う人々がおり、
田舎には『田舎のいじめ』があるわけです。

そこのところを主人公の『花』は、
『親の役目』として生き、全てを受け入れるわけです。

もちろんどんな人間にだって『役割』というものがあるものです。
大人として、仕事として、社会の中にいるものとして。。。
ただ、いつの間に私たちは自分の『役目』を、
他人に押し付けるようになったのでしょうか?

『子供の責任を負うのが、親の役目でしょ!』
と、劇中での出来事にヒステリックな母親は何を言ったのでしょうか。
迎えに来ない母親を子はどう『受け入れた』のでしょうか。

私たちは大人になるにつれて責任を
『放棄』するようになってしまったのでしょうか?
劇中の子供達は、それぞれの『環境』を『受け入れ』その中で、
まさしく『大人』に成長していきました。
学校に『行く』事を選び、『行かない事』を選び、
人間として生きることを選び、野性で生きることを選び
自分たちの『生き方』を選びました。

ところがどっこい、昨今の私たち『大人』はどうでしょうか?

、という話をここであげても仕方ありませんが。

この映画は、熱烈に今を生きる人々からの心からの言葉だと思います。
『何もしなくて良い、ただ頼むから邪魔だけはしないで!』

『いじめがない社会をつくっていきましょう。』とあなたは言う、
でも、それっていつからなの?
自分たちにとってその問題は
『Nowなんだよ!Hereなんだよ!いつか、どこかでじゃないんだよ!』
と、現実と理想はあまりにも遠い。

と、書いているときりがないのでやめにしますが、
そんなことを痛烈に思う映画でした。

もちろん、最初は陰口こそ叩いているものの、
少しづつ、仲良くなるにつれ優しくなっていく『日本人』達には、
小動物の様な『小心者』のかわいらしさもあり、
その時間が『大切』にされている『田舎』という環境は、
よいところだなぁ。と思う内容でした。

なんにしても、大人達よ!
自分の子供をつれて、映画館に今すぐ行きなさい!
(いなければ、隣の子を誘って。)
そして、自分自身が狼の遠吠えに対し、
答えられるかをしっかりと考えなさい!

と、長々とえらそうに失礼致しました。
私達大人が思っている以上に子供(異端者)達は『大人』である。
『おおかみにんげん』が受け入れられる世の中は、
責任と優しさに包まれた世界なんだろうなと思う。
そんなとっても、とっても素敵な映画でした。

『おおかみこどもの雨と雪』
http://www.ookamikodomo.jp/index.html


『この空の花』感想
『みんなが爆弾なんか作らないで、
きれいな花火ばかり作っていたら、
きっと戦争なんか起きなかったんだな』

映画『この空の花』長岡花火物語を観て参りました。
映画?ドラマ?劇?文化祭?自主制作?
と、???の映画体験でしたが、
なぜか号泣してしまいました。

内容に関しては、毎度の様に省きますが、
私が個人的に共感を最も覚えたのをひとつ。

3人並んで歩いてみる。
真ん中の子がいなくなった。
そのポッカリ空いた穴(隙間)をあなたはどう思いますか?

いなくなったことが、寂しかったり、
哀しかったり、時にはホッとしたり、
人はその穴を何らかの感情で埋めます。
或は、何かで『補填』します。


何度も述べているお話で恐縮ですが、
私たちは、日本人であり、男性女性であり、
◯◯歳であり、◯◯世代であり、黄色人種であり、
と、様々なコミュニティ(ジャンル)に属している訳ですね。
その属し方は様々ですが、
以前『世紀末の詩』の引用で記載した様に
『こっちからこっちは俺のもの。』的に分類する訳です。

そして、そのコミュニティは、
凡その場合、安全を担保し、存在を記す訳です。
と、その話は何度も述べているので、
これぐらいにして。

この映画の中で語られていたひとつは、
このコミュニティに関してだった様に思います。
どんな人であれ、何らかのコミュニティ(ジャンル?)
には絶対的に属している訳ですが(年齢とか性別とかね)、
そのコミュニティの『優先順位』というものが、
生活を送る上で各々に存在する様に思います。

己の『生活』に最も身近なものから順に『優先』され、
考える比率も、想う比重も徐々に少なくなっていく訳です。
戦争から66年、『過去』となった『戦争体験』という
コミュニティの比重は忘れられつつあります。
そして、1年前の『震災』への比重も薄くなりつつあります。

それが悪い。と言っている訳ではありません。

過去を引きずり、過去を想い、停滞するよりも、
今は進むしかありません。
しかし、穴はまだ空いている訳です。

さて、その穴は何で埋められるのでしょうか?


そのひとつの回答がこの映画の内容だった様に思います。

私が感じた回答は、
『穴は埋めない。』ということです。
というと、大きな話ではわかりにくいですが、
真ん中の子がいなくなった。
というのは、真ん中の子が『同じコミュニティ』からいなくなった。
ということだと思います。

そこには、様々な理由があるのでしょう。
本当は、抜けたくなかったのかもしれませんし、
もしかすると自主的だったのかもしれません。

しかしながら、私たちはその空いた『穴』を
哀れむ事しかできないのでしょうか?

もしかすると、その子はより元気に生きているかもしれません。
場合によってはまた戻ってくるかもしれません。
しかしながら、それはわかりません。
そして、その『穴』は確実に『現実』に出来た訳です。
その『現実』は決して変わらない訳です。

私たちに出来る事というのは、
『その子』のコミュニティという、
『私たちとは別』のコミュニティを好意的に受け止める。
という姿勢であり、アクションなのではないでしょうか。

それは、2011年6月1日の自主規制しない長岡花火であり、
2011年12月8日の真珠湾追悼という
アクションだったのではないでしょうか。

2011年3月11日東北地方の人々は被災されました。

私たちに出来る事は、
哀れむことでしょうか?
忘れる事でしょうか?

ただ、ただ『祈る』ことでしかないのではないでしょうか。
もちろん、好意的なアクションを前提とした上でね。

映画では『想像する事』ということを言っていました。
『想像』を辞書で引くと、それは『想い描くこと』であり、
或は『創造』=『新しく生み出す事』であり、
絶対的にポジティブな意味な訳です。

ポッカリ空いた穴をあなたはどうしますか?

自分とは別のコミュニティを認め、想う事。
これが私たちに出来る唯一の事であり、
その結果『爆弾が花火』に変われば素敵ですね〜。

と、映画を観ていない方には
多分よくわからないと思いますが、
そのもやもや感を持って、
ぜひご覧下さい。

『この空の花』
http://konosoranohana.jp/
脳トレ
 物事を『筋トレ』に置き換えると、
意外と何でも腑に落ちてしまう。
筋肉の様に『目標』へと到達するのはなかなかに難しい。

潜在意識というものは素晴らしいもので、
『今』の自分がいかに形作られたかというのが、
やっぱりあるんだな〜と思いました。

14年前に放映された『トゥルーマンショー』。
1度しかみた覚えがなかったのですが、
いつも私の『頭の中』にあった映画でした。
なんとなく観たくなったので見直してみると、
『あら、びっくり。』私の発想の原点というか、
私のアイデアは『パクリ』だったことを知りました。

パクリというと、なんだかな〜ですが、
まったく覚えていなかったつもりの『出来事』が、
いつの間にか自分のものになっていたという
『素晴らしさ』を覚えました。

ホリエモンこと堀江貴文さんが大量の『インプット』が必要。
なんてことを言っておられましたが、
まさしくこういうことなんでしょうね。

日々は確実に『脳』という人間の『HD』に
確実に記録されている訳です。
その記録が己のとっての『辞書』になり、
『知識』になり『武器』になり、
最終的には『すがる』ものになる。

なんだか『瞑想』の実写版効果みたいなものを、
体験した日でした。
『トゥルーマンショー』話と、
『クレヨンしんちゃん。モーレツ大人帝国の逆襲』の感想を
書く予定でしたが、変わってしまいました。

どちらも、やっぱりmy favorite映画です。


here and now 映画『ドライブ』
Woman is passive.Man is active.
Men and women has played a role by the physical nature.
And,Woman is strong forever.
What is stronger?
It is to life.
Life is here and now.

いつの間にか、
『今』『ここ』にいることを当たり前の事として生きる私たちは、
『いつか』『どこか』が最も尊いものだと考える様になった。
時間の経過と共に進化することが絶対であり、
今日よりも明日、成長している様にと。

成長に果てはないのだろうか。

かつての人々は、『明日』餓えない為に大海に飛び出し、
『未知なる未来』を切り開いた。
そこには、『自分たち』にとっては手つかずの
『もの(なにか)』が広がり、
それらはすべて『自分たち』の思い通りになった。

月日が流れ、その他の『自分たち』が大海を渡ってきた。
そして『自分たち』のものは『他人たち』と争う事になった。

現代の『月日』はいつなのだろうか?
現代の『大海の向こう側』とはどこなのだろうか?
現代の『自分たち』とは誰までなのだろうか?

日本では最近になってまた、『女性が強い』と言われだした。
それはなぜだろうか?
かつて、大海に飛び出した男達には『いつか』『どこか』があった。
それは、時代によって変わり、アメリカであり、
ヨーロッパであり、BRICS?は違うのだろうか。
『ここ』にはない『なにか』が『どこか』にあり、
それは『自分たち』の餓えを補うもので、
それを得る為に『まず』は男が必要であった。
いつしか、常に得続ける事で『いつか』は『今』になった気がした。

そして、男は強くなったと過信した。
『いつか』『どこか』は『今』『ここ』になり、
また餓えが始まった。

男は大海に出なければならなくなった。
大海の向こうの『なにか』を得られなければ、
餓え、弱くなってしまう。
大海はどこにあるのだろうか?

What is stronger?
It is to life.
Is it true?

私は男でありたい。

映画『ドライブ』
http://drive-movie.jp
なかなか面白かった。
予告見ない方が良いですよ。

映画話は日本語でしようかなと思ってみました。
でも、そんな話ではまったくないので誤解なきよう。
ちょっと『ラブ・アゲイン』からゴズリングの仕草にはまってみる。
マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙 感想
 「最近の人は、どう感じるかを重視しすぎて残念。私は考えたい。
考えが言葉になり、言葉は行動に、行動は習慣に、習慣が人格になり、
人格は運命を形作る」

朝起きたら映画が観たくなったので
『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』を観てきました。
内容は強いて上げるほどのない話というわけではないですが、
個人的には以前『マネーボール』の感想を書いた時の
『弱者の論理』との『戦い』の映画。という感を受けました。
だから、それを観ている『サッチャー』と同年代のやつらをみて
ブログには書き込みたいけど書けない言いたい事を
たくさん考えましたが、その話は胸の内に抑えて、
良かった話をおひとつ。

それが、冒頭の台詞です。
日本語訳と実際の台詞、内容がそうだったのかはわかりませんが、
日本語訳で『サッチャー』が言っていた台詞です。

うろおぼえですが医者に『どんな感じですか?』と尋ねられ、
『感じる?』感じるって何よ(プンプン)。→台詞
という流れで、台詞をとてもわかりやすく、
皮肉たっぷりで言う訳ですが、それがとてもわかりやすかったんですよね。

まさしく、現在の日本を取巻く様な『空気』に対する
明確な答えであり、実践手段であり、
『サッチャー』に対しては正直まったく無知ですが、
その姿勢を貫かれた人なんだな。というのが、
映画の内容になっているわけです。

言葉の表現ひとつで、人というのは変わるものです。
この台詞は大衆に対し述べられた台詞ではないですが、
日本の今を生きる術としては、
最も適した『言葉』であるような気がしました。

私たち日本人は言葉を大切にし、感覚を大切にし、
『思いやり』を大切にし、『感じ方』という
『空気』を大切にしたように思います。
しかし、そこからは『独りよがり』の『思いやり』
しか生まれませんでした。

『思いやり』というと言葉がややこしくなりますが、
思いやりというのはまさしく『思い』だけであるわけです。
『そうだといいな。』『こうだといいな。』という
『希望』であり『期待』でしかないわけです。

『希望』や『期待』なんて言葉で言うと美しいですが、
それはただの『責任放棄』であり、『他人任せ』であるわけです。
もちろん『思って』行動を起こすというのは、
また別の『思いやり』であるわけですが、
最近言われるこの言葉は感覚的に前者の様に『感じる』訳です。

映画全体の内容も、日本を取り巻く感覚も、
もしかしたらこういう映画が作られる訳だから、
世界全体の感覚ももしかしたら、こんなものなのかもしれません。

しかしながら、映画の話ではなく英国には
実際にこういう首相がいた訳です。
良いか悪いかは『立ち方』によって違う訳ですが、
『考えた』結果の『アクション(発信)』は、
男女の違いのように世の中に『問題』を投げかける訳です。

その『問題』に対して、どのような『基準』で考えるか、
というのが『マネーボール』の時に述べた『弱者の論理』の話であり、
強いてここで上げる話ではない訳です。

ただ映画自体は、日本を取巻く『空気』を一発で『解決』出来そうな、
『表現』を学べた個人的には勉強になった映画でした。
そして、同時に。。。と、
少し『日本人』が嫌いになった映画でした。

Watch you thoughts; they become words.
Watch your words; they become actions.
Watch your actions; they become habits.
Watch your habits; they become your character.
Watch your character; it becomes your destiny.

What we think. We become.
My father always said that.

映画『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』
http://ironlady.gaga.ne.jp