前のお話だけでは受け取り方によっては、
なんて悲しい人なの。。。
と、感じられてしまうと少し哀しいので続きです。
前回『感動』とは、感じ動することだと記載致しましたが、
私自身もつい言葉として発してしまいがちですが、
出来れば感じることによって、次のステップに変わりたいと思うわけです。
ですので、感動した。と言葉で発することも、
動(どう)した。ことになりますが、まだ少ない。
動するからには、出来れば何か得たくはありませんか?
得ると言っても、具体的なものではなく、
より学ぶこと、より理解すること、より染み入ること。ですね。
とかく、SNSに始まりブログ、ツイッターと表現手段が増えました。
もちろんリアルタイムという利点はありますが、
綴ってその感じたことが、置かれるだけというのはもったいなくありませんか。
もちろん、コミニティ内で次の話が生まれるかもしれません。
それも素敵なことだと思います。
でも、もっともっと伝えることが出来れば良いと思いませんか?
例えば『ブルースリー』を見て、
『ワチャ、ワチャ。』とその時声だけ真似るのではなく、
全身タイツとヌンチャクを買いに走って、
ヌンチャクの腕をより磨く、全身タイツの完璧なフィット感を追及する。
馬鹿みたいなことですけど、
それだけで『ブルースリー』を見る前の自分とは明らかに変わる。
それって素敵なことではないですか?
そして、その話を聞いたとしたら、
ただ綴っただけの言葉よりも、
あなたもその相手も『口コミ』とは違うことを知れるのではないでしょうか。
また、その表現(動の仕方)があなたの個性となるのではないでしょうか。
ちゃんちゃん。